「少女時代」へのインタビューから(ティファニー編)
From an interview with “Girls’ Generation” (Tiffany edition)
ティファニー(時が過ぎるほど素敵な少女時代になっていく)
略歴→生年月日:1989年8月1日
出生地:米国
本名:ステファニー・ファン & 身長:162cm、血液型:O型
メンバー内ポジション リードボーカル(ソロ歌手・MC)
★--アルバム発表後、どんな反応が最も印象的だったか。
「米ビルボード誌やMTVレビューを読んでみた。『2013年の音楽レベルを高めてスタートした』という部分が感動的だった。『K-POPは1年2カ月の休養が12年と同じで、負担が大きかったはずだが、新鮮な曲を持って出てきた』という反応もよかった。満たされる気持ちだった」(ティファニー)
★--最も大変だった時期は。
「4年前に『Dancing Queen』の発表が延期された時が最も大変だった。当時ガールズグループがたくさん出てきて、この曲で定着しようという考えを抱いていた。突然ブランクが生じて、今まで準備したものと期待が消えていき、どうすればよいのか分からなかった。幼い年齢で大きな傷を受けた。その時、『私たちにはメンバーしかいない』という気持ちになった」(ティファニー)
★ --余暇はどのように過ごすのか。
「私たちで食事をして、おしゃべりをして、ゲームをして楽しむ。午前4時までゲームをすることもある。最近流行っているエニパンがメンバーの間でも人気がある」(ティファニー)
★ --16年間活動し続ける憧れのスパイスガールズ
「どれだけの年月が流れても、私たちが団結して取り組むべきものがあるなら迷うことなく駆けつける、と互いに信じている。時が過ぎるほど素敵な少女時代になっていく姿をお見せしたい」
★★★★★
愛称は「パニ」。自己紹介の時のキャッチフレーズは「宝石より輝くティファニー」。
特技は英語とフルート演奏。アメリカで生まれ育ったため、英語はネイティブ感覚で駆使する。
少女時代のリードボーカル。得意の英語と持ち前の明るさを活かし、ステージではラップ等でムードメーカーの役割を担う。
家族(父、兄、姉)はアメリカに住んでいる。母親は中学一年の時、病気で亡くしている。
その後、歌手の道を志す。
――ティファニーさんのデビューのきっかけは?
「アメリカで住んでる時、オーディションに出るようお兄ちゃんに勧められました。お祭りのオーディションでした。そこに出て落選はしましたけど、名刺をたくさんいただきました」
――たくさんの名刺の中から今の事務所を選んだのはどうして?
「その頃にK・POPを知りました。そして初めて知った歌手がBoA先輩で、”BoAさんがいる事務所だ”と思って、3週間後に家族のもとを離れ韓国へきました」
「私自身、どうしようか一人で迷っている時期だったんです。母が亡くなってから2年ほど経っていた頃(中学3年)で、どこへ進むか大変悩みました。当時は気付いてもいませんでしたが、あれこれいろんなことに手をだしたりして・・・。でも、そんな中で私に楽しみを与えてくれたのはやっぱり音楽でした――」
しかし、ティファニーの志はすんなり実現したわけではなかった。単身で韓国に渡ることについて、父親の猛反対を受け、泣いて許しを得たエピソードも残る。
「お父さんとは・・・仕事を始めてから少し距離が出来てしまいました・・・最近はあまり話せていないんです。お父さんと一緒に過ごした時間が・・・振り返ってみると、そんなにあったわけじゃなかったです。もうここに来て8年になるし、だから、それが辛かったりするんです」
笑みを浮かべながらも、きれいな指で涙をそっとぬぐうティファニー。
ステージ上から天真爛漫の明るさを振りまき、今日も観客を魅了し続ける彼女の歌声の奥にはそういう寂しさも潜んでいる。
その歌声にはお父さんに向けられたメッセージもこめられているかもしれない。
「世界中の人が私の歌を聴いてくれている。お父さん、私は今、すごく幸せだよ」
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