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あの世のハラと遺産騒動


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あの世のハラと遺産騒動



KARA出身ハラさんの母親、初めてインタビューに応じる「遺産を相続したら寄付する」


 遺族の遺産騒動をあの世のハラはどう思っているのだろうか?


”故ハラさん”と呼ぶべきなんだろうけど、ガールズKARAを通じてハラの活動を応援した身なので、これからもハラと呼んでいくつもりだ。
 芸能活動以外のハラについて知っている情報はほとんどないに等しい。公の情報から隙間を想像して埋めることくらいしかできない。
 しかし、多くの者が知ってるありふれた情報でも、たくさん積みあがればハラの人間性も血肉を帯びてくる気にさせられる。
 ハラの兄と母親の間には大きなしこりがあるようだ。ハラと兄、ハラと母親の間はどうだったのだろう。
 ハラは兄と母親のどっちかに寄っていたようには思えない。


 なぜ、そう思うかというと、KARAのDSPとの騒動である。あの騒動で態度や立ち位置がもっともあいまいだったのはハラだった。
 ギュリがDSPサイドにつき、ニコル、スンヨン、ジヨンはDSPと敵対した。宙ぶらりんになっていたのはハラだった。
 当初はニコル、スンヨン、ジヨンと歩調を合わせる流れだったが、日が経つにつれDSPにつく結果となった。その結果、KARAは絶妙のバランスで活動を続けることとなった。
 KARAは日本での活動が大成功となり、メンバーたちはステータスを強化できた。ちゃんとした親を持つ(?)ジヨン、ニコル、スンヨンはKARA後の足場を作るのに成功したろうし、ギュリもDSPとのつながりや芸能一家の強みで、KARA時代のような儲けはなくても仕事に困ることはなかっただろう。
 ハラはどうなのか? 人気は残した。だが彼女の足場を支えてくれる者はいなかった? 兄はハラがなくなった時の発見者だから、マネージャー役は果たしていたかもしれない。しかし、有名タレント(歌手)のハラが仕事らしい仕事をしていないのを思えば、芸能界に強いコネクションを作り出していたとは思えない。KARAの活動が終了した時点でもっとも人気を有していたのはハラだった。実際、もっともよく知られた事務所と契約を交わしたのはハラだった。にもかかわらず彼女は仕事らしい仕事をこなしていない。
 KARAで成功したマネージャーはとてもじゃないが他人では務まらない。2017年にハラはうつ病を患っている。KARAが解散したのは2016年1月。KARAであんなに売れたタレントが、1年以上まともな仕事にありつけないならうつ病にもかかるはずである。
 あれほど人気となったハラである。しっかり者の家族がいればたぶんそんなことにはならなかった。
 あの世のハラは兄と母親の対立を悲しんでいるんじゃないだろうか…。


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故ク・ハラが残した日記の内容に専門家も絶句するしかなかった理由

 
 亡くなる直前の頃、ハラは日本で活動した。深く期するものもあった日本での活動だったと思う。その一つにはKARAの復活もあったのでは…? 結局また板挟みみたいな場所を自分で作り出して苦悩していたハラ。皮肉にもそういう立ち位置の運命を背負っていたのかも…。KARAでのハラはあんなに無邪気で最高だったが…。
 後ろに何も(家族さえ)持たないハラの提案に、地盤を築いたメンバーらが乗ってくるなどありえない話だった。



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