雨の記号(rain symbol)

KARAでのステージが命そのものだったク・ハラ







KARAでのステージが命そのものだったク・ハラ
Goo Hara, whose KARA stage was life itself



「ク・ハラ」四回忌….「ジヨン」2ショット写真アップ、故人偲ぶ



★ 「ク・ハラ」の四回忌を迎え、「KARA」メンバーが写真を掲載しています。
カン・ジヨンは11月24日、「ク・ハラ」と一緒に写った写真をアップ。キャプション欄に「天使」と「ホワイトハート」の絵文字を添え、故人を偲んでいます。



 少女時代はメンバーらをひとつのかたまりとして好きだった。
 KARAは同じアイドルグループでも、ハラを中心に好きだった。ハラがいたからKARAを好きだったし、他のメンバーたちも好きだった。


 ハラはアイドルだったけど、アーチストの一面を共存させていて、珍しいタイプのアイドルだった。
 ステージに対する情熱が物凄くあったからだ。歌唱力は残念ながら伴わなかったものの、ありったけの自分をファンたちに見せてくれた。


 今から思えばステージの上だけがほんとの自分ややりたいことをぜんぶぶつけられる場所だったのだろう。


 彼女にとっての晩年期に見えてきた境遇を知るにつれ、ステージ(仕事)の上(場所)こそが彼女にとって自由の場所、解放された場所、心の底から満たされた場所だったのだろうと思える。


 裏返せば仕事してない時のハラは針のむしろの上にいるようなものだった。
 なので妹のように可愛がったソルリと遊びまわったり酒を飲んだりしていた時は、現実から逃げ回っていた苦痛の時間だったんじゃないかと思う。
 彼氏と過ごした時間も結局はそうだったんじゃないだろうか。彼女の望んだ安穏に寄り添ってくれる相手ではなかったようなので…


 KARAは活動の途中で分解を余儀なくされ、ハラも再出発を目指すことになったけれど、ひょっとするとあの時にハラはアイドルとして燃え尽きていたかもしれない。
 いや、彼女がというより、その時に生じた環境が彼女の情熱を奪い去ってしまったのかもしれない。


 あの後、ハラは見るべき仕事の業績を残していない。おそらく、憑き物が落ちたようにハラはKARAの時に見せていたタレント(アーチスト)の輝きを喪失していたのかもしれない。


 それは当該事務所のスタッフの目には、意欲のなさ、魅力のなさ、と映じていたかもしれない。
 ハラのために準備された仕事や予定がことごとく実現に至らなかった点から察するに、ハラの積み上げた業績を”泥を塗る”結果しか見えなかったからかもしれない。
 ハラの生まれて生きて来た境遇は”KARA”の一員として彼女を全うさせるしか道はなかったのであろうか。

 そういえば亡くなる前のハラの仕事も上手くいってるようには見えなかった。


 KARAの活動してた頃、ステージの上から会場のファンに向けて言った言葉は今でも耳の奥に鮮やかだ。


― そんなにうるさくちゃ歌えないよ(意訳)

 KARAでのアイドル活動はハラにとって命そのものだったのだ。


 再結成で復活したKARAには、ク・ハラの熱かった思いと情熱を無にしない活動を実現してもらいたい。


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