雨の記号(rain symbol)

暖房入れた夜に見たソジンさんの夢







暖房入れた夜に見たソジンさんの夢
Sojin's dream I had on the night I turned on the heater








 2015年2月24日が”BABY KARA ”オーディションのステージで活躍したソジンさんの命日となった。
 彼女のステージを1番としていたわけではなかった。
 自分の期待として、KARAの再出発はブーム復興の流れに沿って6~7人くらいの編成で行くのが最善と期待していた。


 オーディションのステージを見ながら、その編成においてソジンさんは、メンバーに入れるか逃すかのボーダーラインにいると見ていた。
 すなわち、ヨンジとソミンは少し抜けている。
 あとひとつをめぐり、自分はチェギョンとソジンが有力と見ていたのだった。
 しかし、事務所サイドは守りの戦いとして、このプロジェクトに臨んでいたようである。
 選ぶのをひとりとしていたなら、ヨンジとソミン以外は、イベントを盛り上げる出来レースの脇役やエキストラに過ぎなかったかもしれない。

 大ブレイクしたガールズ(KARA)の補充メンバーだから、あっさり決めるわけにはいかない。
 大々的にアピールも必要となってこういうプロジェクトが浮かび上がって来たのだと思われる。


 大々的にやったにしてはたったひとりの選出は戦略がちぐはぐでいかにも寂しい顛末だった。
 旧メンバーにこだわるファンの反対が、事務所サイドの大胆な決断を鈍らせたとも言えようか。
 だが、さほどの期間(KARAが活動を終える2年)を置かず、TWICEを先頭にしたガールズブームが到来したのを思えば、”大山鳴動して鼠一匹”じゃないが、KARAの補充メンバーをひとりに留めたのはDSPの決断があまりに消極的過ぎた。
 事務所サイドが先を見通せなかったのは、大きな戦略ミスだったと言ってよいかもしれない。


 現在のガールズブームを実感するたび、あの時、再出発のKARAが7~8人で再スタートを切っていたなら、ひょっとするとTWICE隆盛の時代も生き残って活動していたのではないか、とさえ思えてくる。

 当然、その中には今は亡きソジンさんもいたりして…まあ、寒かった夜に暖房入れて見た、夜の夢ではあるけれど。

 ソジンさんの霊(心や魂)は草葉の陰で今も寒いままに眠りを続けているのだろうか…。



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