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職場は京葉コンビナートの中にある。
仕事中、工場内の木立を抜けてモンシロチョウが姿を見せた。
おっ、珍しい。しかし・・・
羽は鮮やかな白ではなかった。鱗粉がはげ落ちたかして輝きも元気もない。今時というより、中秋の頃に見かけるやつれた蝶の姿ではないか。
珍しい光景だった。仲間からはぐれてしまったのだろうか。
工場内に花の植わった場所は少ない。ないわけではないが、木々も花も少ない場所にどうして飛んできたのであろう。
風に吹かれてやってきたというほど風は強くなかった。
海峡を蝶がわたっている・・・というような詩もあるから、どんな場所にも彼が現れたところで不思議はない。だが、奇異な印象はぬぐいされない。
木立の中から蝶が姿を現した場所には、わずかながら花壇もあった。季節の花も満開だった。
しかし蝶は花などには見向きもしなかった。並べられたドラム缶や止まったトラックの横をくぐり抜け、海岸線に沿った方向に必死で飛び去った。
花の蜜はたっぷり吸い青春は謳歌し終わったというのだったか。
パートナーを探し求めて海岸線の工場地帯に迷い込んでしまったというのか。
あの飛び方で海へ出たらどうするのであろう。
僕には波間に浮かぶ彼の姿が見えるような気がした。いや、その前に小鳥の餌になるかもしれない、とも。
そして、花壇の花を見て可哀想とも思った。たまたま今、モンシロチョウに無視されたからではない。
ふだんから花にたかる虫の姿はほとんど見ないのだ。
植物と昆虫の切っても切れない関係をテレビなどではよく放送している。昆虫は植物の受粉を手助けし、その代わり昆虫たちは美味しい蜜のご相伴に預かるといったほほえましい協力関係である。
子供の頃、花壇には蜂や蝶などがいっぱいたかっていた。
しかしここでは蜂や蝶などが花から花に渡っているのを見るのは少ない。いるにはいるが、本当に少ない。山に入ればいっぱいある蜘蛛の巣もここの木立では見る数も少ない。
人の手で常に枝の刈込みや雑草処理がほどこされ、彼らの巣は絶えず処理される運命にある。それだけ彼らの生存条件は厳しくなってしまっているのだろう。
それは我われの団地の庭でも同じことになってきているが・・・。家々の庭で花々は綺麗に咲き誇っているが、テレビで放送されるような花と虫の微笑ましい光景は姿を消している。
今日、昼休みに職場の車の中で蚊を叩いた。ひょろひょろ飛んでて元気がなかった。腕に取り付いたのを叩いたら血が噴き出すどころかほんとに痩せていた。
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