今日は「のっちゃん」の誕生日
45歳
私には3つ違いの「兄」がいます。
その兄が「のっちゃん」・・・
小さい頃から「兄ちゃん」と一度も呼んだ事がありません・・
のっちゃんは「障害者」なのです。
自慢じゃ~~ないけど・・ちゃんと??障害者手帳の持ち主・・
生まれて1歳の誕生を前に「ひきつけ(熱性痙攣)」が
頻繁に・・激しく起こるようになり・・
ひきつっている間というものは・・脳に酸素がうまく供給されないために・・
何度も何度も繰り返す「ひきつけ」の後遺症なのか・・
当時の治療がよくなかったのか・・
定かではないが・・
『知的障害」が残りました。
私が小学校低学年の時は・・自分の友達と遊びに行くのに・・
無理やり親に「のっちゃんも連れていって!!」と言われ・・
のっちゃん同伴で友達と遊んでいた事を覚えています。
いっつも・・・よく喧嘩しました・・・・
って言うか・・私は「兄」なのに・・『兄』ではない
のっちゃんに・・・自分のイライラをぶつけていたよ・・
のっちゃんは・・やさしいから・・・黙っていたなぁ~
学校では・・のっちゃんの学年の友達は「いい人」が多く
かわいがってもらっていました・・・
それでも・・やはり人はいろいろで・・
いじめられていたり・・からかわれていたりの場面を
何度も何度も・・見てきました・・
「かわいそう」と思う反面・・
「イヤだ」って言う気持ちが・・一気に私に襲い掛かってくる
そんな事がたーーくさんありました。
のっちゃんは「やさしい」ので社会人になってからも
勤めた会社のみなさんにかわいがってもらいましたよ~
最初に勤めた所が不景気で倒産・・
2度目に勤めた会社ではひどい「いじめ」にあい・・
知的障害であると言う事を完全に「バカ」にされた扱いで・・
それに体罰まで
休憩のとき・・会社のみなさんにお茶を配るのに
オボンにみんなのコップをのせて運んでいたら・・
背中に火のついた「爆竹」を入れられました
当然・・背中の服の中で爆竹は爆発
のっちゃんは・・大やけど
それでも日頃・・親に「人に迷惑をかけてはいけない・・お前は人より何も出来ないんだから・・頭を下げてきちんと教わりなさい・・辛いことは誰でもあるんだから我慢しなさい」
そう教えられたのっちゃんは・・
会社でのいじめを全部・・自分の不注意だと親に言っていました・・
私も親も・・「そーなんだ」と思っていたのに・・
ダンナだけが・・
「のっちゃんのケガ・・おかしくないか?」って気がついたのです・・
爆竹を入れた会社の人・・結婚して子供もいる人でした・・
その人が謝りに来た時・・父が暴れて怒る事もせず・・静かに
「あなたも子供を持つ親なら・・私達が今・・どんな気持ちでいるかわかるでしょう!大人のすることでもないし・・人間のする事でもありません・・」って・・
私は・・・陰でその話しを聞いていて・・
悔しくて悔しくて・・・涙が止まりませんでした
健太が生まれ・・康平が生まれ・・
子供成長と共に・・数年で「のっちゃん」の精神年齢を
抜いてしまう・・
その時に・・子供達が・・のっちゃんの事「バカ」にしないよーにって
その事が・・私の子育ての中の『一番』でした・・
って・・私は・・・兄妹なので・・
さんざん・・喧嘩して・・バカにしまくってきましたけど・・
健太も康平も・・・ちゃんと「のっちゃん」の事を理解して
きちんと接する子になりました・・
私より・・偉いです
今・・・会社で寮生活をしているのっちゃん・・
健太や康平が新聞に載ると・・・
必ず電話がかかり・・
何やら「オジさん」らしく
「がんばれよ」って言ってくれます・・
家族の誕生日・・両親の結婚記念日・・私達の結婚記念日には
必ず「おめでとう」って電話が入ります・・・
一度、忙しい時に「おめでとう」電話が入ったとき・・・
私・・超・・ぶっきらぼうな態度で「ハイハイ」
って電話を受けていたら・・それを聞いていた
康平に怒られた
「母さん・・もっとやさしく返事してあげられよ!のっちゃんかわいそうに!」って・・
月に一度・・帰ってくると康平が一番嬉しそうに、
「のっちやん!!帰ってきたんや~・・おかえり~~」
お前は・・・やさしい子だなぁ~・・
この年になって・・兄妹喧嘩をする事もなく・・
たいした会話もする事もないです・・
たまに・・普通の「兄」だったら~って思うこともありますが・・
のっちゃんはのっちゃんです・・
45歳おめでとう・・・・おっさんになっちゃったね
最近・・太りすぎ・・
やはり・・中年ですね
私のたった一人の兄・・のっちゃんの話しでした
45歳
私には3つ違いの「兄」がいます。
その兄が「のっちゃん」・・・
小さい頃から「兄ちゃん」と一度も呼んだ事がありません・・
のっちゃんは「障害者」なのです。
自慢じゃ~~ないけど・・ちゃんと??障害者手帳の持ち主・・
生まれて1歳の誕生を前に「ひきつけ(熱性痙攣)」が
頻繁に・・激しく起こるようになり・・
ひきつっている間というものは・・脳に酸素がうまく供給されないために・・
何度も何度も繰り返す「ひきつけ」の後遺症なのか・・
当時の治療がよくなかったのか・・
定かではないが・・
『知的障害」が残りました。
私が小学校低学年の時は・・自分の友達と遊びに行くのに・・
無理やり親に「のっちゃんも連れていって!!」と言われ・・
のっちゃん同伴で友達と遊んでいた事を覚えています。
いっつも・・・よく喧嘩しました・・・・
って言うか・・私は「兄」なのに・・『兄』ではない
のっちゃんに・・・自分のイライラをぶつけていたよ・・
のっちゃんは・・やさしいから・・・黙っていたなぁ~
学校では・・のっちゃんの学年の友達は「いい人」が多く
かわいがってもらっていました・・・
それでも・・やはり人はいろいろで・・
いじめられていたり・・からかわれていたりの場面を
何度も何度も・・見てきました・・
「かわいそう」と思う反面・・
「イヤだ」って言う気持ちが・・一気に私に襲い掛かってくる
そんな事がたーーくさんありました。
のっちゃんは「やさしい」ので社会人になってからも
勤めた会社のみなさんにかわいがってもらいましたよ~
最初に勤めた所が不景気で倒産・・
2度目に勤めた会社ではひどい「いじめ」にあい・・
知的障害であると言う事を完全に「バカ」にされた扱いで・・
それに体罰まで
休憩のとき・・会社のみなさんにお茶を配るのに
オボンにみんなのコップをのせて運んでいたら・・
背中に火のついた「爆竹」を入れられました
当然・・背中の服の中で爆竹は爆発
のっちゃんは・・大やけど
それでも日頃・・親に「人に迷惑をかけてはいけない・・お前は人より何も出来ないんだから・・頭を下げてきちんと教わりなさい・・辛いことは誰でもあるんだから我慢しなさい」
そう教えられたのっちゃんは・・
会社でのいじめを全部・・自分の不注意だと親に言っていました・・
私も親も・・「そーなんだ」と思っていたのに・・
ダンナだけが・・
「のっちゃんのケガ・・おかしくないか?」って気がついたのです・・
爆竹を入れた会社の人・・結婚して子供もいる人でした・・
その人が謝りに来た時・・父が暴れて怒る事もせず・・静かに
「あなたも子供を持つ親なら・・私達が今・・どんな気持ちでいるかわかるでしょう!大人のすることでもないし・・人間のする事でもありません・・」って・・
私は・・・陰でその話しを聞いていて・・
悔しくて悔しくて・・・涙が止まりませんでした
健太が生まれ・・康平が生まれ・・
子供成長と共に・・数年で「のっちゃん」の精神年齢を
抜いてしまう・・
その時に・・子供達が・・のっちゃんの事「バカ」にしないよーにって
その事が・・私の子育ての中の『一番』でした・・
って・・私は・・・兄妹なので・・
さんざん・・喧嘩して・・バカにしまくってきましたけど・・
健太も康平も・・・ちゃんと「のっちゃん」の事を理解して
きちんと接する子になりました・・
私より・・偉いです
今・・・会社で寮生活をしているのっちゃん・・
健太や康平が新聞に載ると・・・
必ず電話がかかり・・
何やら「オジさん」らしく
「がんばれよ」って言ってくれます・・
家族の誕生日・・両親の結婚記念日・・私達の結婚記念日には
必ず「おめでとう」って電話が入ります・・・
一度、忙しい時に「おめでとう」電話が入ったとき・・・
私・・超・・ぶっきらぼうな態度で「ハイハイ」
って電話を受けていたら・・それを聞いていた
康平に怒られた
「母さん・・もっとやさしく返事してあげられよ!のっちゃんかわいそうに!」って・・
月に一度・・帰ってくると康平が一番嬉しそうに、
「のっちやん!!帰ってきたんや~・・おかえり~~」
お前は・・・やさしい子だなぁ~・・
この年になって・・兄妹喧嘩をする事もなく・・
たいした会話もする事もないです・・
たまに・・普通の「兄」だったら~って思うこともありますが・・
のっちゃんはのっちゃんです・・
45歳おめでとう・・・・おっさんになっちゃったね
最近・・太りすぎ・・
やはり・・中年ですね
私のたった一人の兄・・のっちゃんの話しでした
私にも兄がいますが(4歳違い)、3年前からうつになり、嫁からも見放され子供からも見放され、離婚となり、今は85歳の父と78歳の母が見ています。障害者手帳をもらいました。私が小学生のころ、兄は給料日になるとショートケーキを買って来てくれました。おとなしい、やさしい兄でした。現在は、うつも軽減しましたがまだ働く気力がありません。障害年金で暮らしています。両親になにかあれば、兄は一人になります。その時は、私が面倒を見るつもりでいます。兄妹なんだから…
お兄さん、大変辛い思いをされたのですね。
「鬱」と云う心の病気は「薬」で簡単に治るものではありません。
家族の方もご本人も大変な苦労をされていると思います。
同じですね!両親に何かあれば・・って私は本当に小さい頃からそれを考えていました。
それを承知で私と結婚してくれたダンナには感謝です。
金沢でみゆきさんの前で仕事させて頂いてます、後輩のウメと申します。
ブログ、お昼休みにみゆきさんに「ちょっと読んでみる?」と言われて読ませて頂きました。
前から、「いとこがね」「康平がね」とお話しを聞いてたんですが【のっちゃん】を読んで昼休みにウルウルしました。
家族だからこそキレイ事じゃないよね・・・とみゆきさんと一緒にしみじみ語ってます。
また、ブログ拝見させてもらいます!!(お気に入りに入れました!)
お仕事がんばってください!
はじめまして・・こんにちは
いつも・・いとこのミユキが・・お世話になってますっ
ミユキには・・康平や健太もよく世話になりました
世の中いろいろでして
そちらの仕事も大変ではないでしょうか・・・
また・・いらしてくださいね・・
umeさんもお仕事がんばってくださいね
辛いけど、あったかいお話を聞かせてもらって。
ありがとうございます。
このブログを読ませてもらってて思ってましたが、、、
マダムのご家族は、やっぱり素敵です
私もいつか子育てをする日が来たら、
あったかい心を持ってる人に育ってほしいな~と思いました。
そのためには、私もあったかい心を持てるように・・・
ありがとうございます。
KAGOさんもとてもあたたかい心の持ち主だと、私は思います。
なんていったって・・「笑顔」がとてもステキですよ!!
顔を見れば・・わかりますよ・・
その人が!!・・
そうね~いつか子育てする日が来るね~
子育ては・・難しくないけど・・簡単ではないですね
だから・・楽しいんだなっ