不虚故庵(新)

不虚故庵の欠片

生誕地巡り

2024-10-25 | ひみつ

尼崎駅から向かったのは

👈初めて降りた

👈立派な歩道橋

流石は国道2号線、大昔はチンチン電車が走ってた関係か

歩道橋の高さが高い

👈記憶では1度だけ来た筈

👈阪神バス

私が生まれた病院がこのそばにあったはず

妹も同じ病院で生まれたので

家からおやじ様と歩いて見に行ったような

泣き叫ぶサルみたいだったなと

👈病院は無くなり駐車場に

着いたが駐車場になってた

少子高齢化で産婦人科も潰れるよね

気を取り直し、杭瀬商店街へ

卵屋で1個ずつ卵を透かして買っててやることも無いしと

ウロチョロしてるとお袋様急にぶちぎれて

「家に帰れ!」と怒鳴られ

道順も分からないが線路に突き当たるまで

(当時尼崎港線が南北に走ってた)

必死に帰って、しばらくして帰ってきたお袋様に

「何を勝手に帰ったんじゃ」と理不尽に切れられた思い出が

👈こんな所だっけ?

👈ここっぽい

 

通路の狭さとこの感じ間違いないが

流石に卵を1個ずつ売ってくれる卵屋さんは残ってなかった

商店街としては活気があって

まだしばらくは続くんだろうなと

メインの商店街近くに駄菓子屋さんが

 

個人にもバラ売りしてくれる駄菓子屋さん

有名人のサインも多数ありましたよ

こんなところがあったんだなと

つい買いこんじゃいました

👈商店街の西端

こんなところ通ったのかな?

必死に帰って風景の記憶が無い

 

 

なんか公園が多いなと

👈今日初めて知りました

👈残り半分

公園に看板があった

お家は県立尼崎高校の近くだったから

もうちょいだ

👈兵庫県の方も大変

例の知事さんの件で選挙大変どすな

👈公園の名前初めて知りました

👈内科さんが歯科さんに

喘息持ちの私を救ってくれた女医さん

後継者が居なかったのかな

ここまで来たらすぐそこ

👈お家近くの公園

昔と大きさ変わらず、フェンスは綺麗になってた

左奥に見える家の所を尼崎港線がゴトゴトと走ってた

尼崎港線が走ると家が揺れてたんだよな

で少し歩くと

👈50年前と変わらず

👈一部改装?

凄いなと

人も住んでるようだし

このままずつとそのままでいて欲しいなと

 

さてとどこの駅に向かおうか

阪神大物駅、阪神尼崎駅、JR尼崎駅

幼稚園や小学校も見たいのでJR尼崎駅に向かう事に

近くの県立高校、小奇麗になって門の位置も変わったのかな

少し歩くと車両進入禁止の狭い道を行くと

長屋跡が更地に

口数の無茶苦茶少ない美人の同級生が住んでたんだけれど

引っ越す直前にお袋に付いて行って

ここに住んでいたんだなと

お互いビックリしたが

幸せに暮らしているといいなと

 

でね

おかしなお寺だと思ってた所に

昔、尼崎港線の金楽寺駅(廃線済み)の傍だったから

👈吉備彦神社だった

お墓も無いから不思議なお寺だなと思ってたが

 

 

神社だと分かったのはいいけれど

地名にもなっているのに、お寺も無い

おかしいなと

👈貝塚があったのね

死ぬ前に知れて良かったよ

謎が解けた

でもって幼稚園に

 

建屋は立派になってた

大きな木は私が小さい時からあったのかな

記憶にないのだが

でもって小学校方面に

👈小学校の傍の公園

👈こんなのなかったが

学校帰り当時は只の原っぱ

遊具もなく、同級生と話したり遊んだりしたなと

遊具とトイレまで出来てた

👈小学校もリニュアル済み

末永く続いて欲しいなと

 

 

駅までの道が綺麗だったなと

 

時が経てば、変わるもの消えるもの

そのままあり続けるもの

時間の流れには逆らえないなと

それらを含めてもやっぱり育った場所は

心が落ち着く

なんでだろう~

 

ほなねぇー

 


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