私の妹が先月の9月6日(日)に亡くなりました。
本日10月18日(日)、
四十九日の法要を親族のみで行いました。
昨年の10月末に食道癌が発覚し即入院となり、
既にステージ4aと伝えられました。
抗がん剤→手術→退院→通院で抗がん剤→再入院→緩和ケアの病院へ転院
緩和ケアに転院してから2ヶ月の事でした。
癌が発覚してからは10ヶ月程です。
こういう事をここに書くつもりは元々無かったのですが、まぁまぁ長く音楽活動や介護やその他のお付き合いをして来た中、10代の頃から私のやってたバンドの手伝いを沢山してくれた妹ですので、私を通して妹の事を知ってくれていた方もいらっしゃるので、ここに書く事を判断をしました。
生前は妹がお世話になり、感謝しています。
親族が気にかけてくれたり協力して下さり本当に助かりました。
妹の家族と言うのは私1人なので、やる事もこれから考えなくてはならない事も色々あり、今はまだ落ち着くという事は無いです。
妹が居なくなった事もまだ実感が無い部分も有りますが、手続き等していると実感が湧きます。
こんなに早く死ぬと思って無かったし、本人も悔しい気持ちがあったようです。
私にとっては1番気がかりな、幸せに生きて欲しいと思っていた人なので、本当に悔しいし、残念です。
寂しいです。
緩和ケア病院で入院中、何も効かないかも知れないけど少しでも辛さが紛れないかと、本人もやってみると言うので手足のオイルマッサージをよくしていたんですが、「ひかりちゃんが体勢辛く無いの?」と自分の方が辛いんだろうけど気を使っていたり、
看護婦さんからの3つの選択の提案に対し、「私は、看護婦さんが1番やりやすい方法で良いです」と、声を出すのも大変そうな状況ではっきりした意思に聞こえる様にそう答え選択をせず、看護婦さんも私を前に少し困ってしまい。(結局看護婦さんの提案で決定)
遠慮したような、内心で人に余計に気を使って生きていたんじゃ無いか?と心配になってしまったり。
マイペースで、嫌なものは嫌で、こだわりもあった様に思うけど、自分の死を受け入れた妹の答えだったのか。
色々考えます。
私はもっともっとこれからも話したかったです。
思う事は書ききれないです。
癌になってから、時間が経つにつれ妹の事が強く見えました。
最後まで本当に頑張っていたと思います。
これは人が病気等で死んだ後に遺族からよく聞く言葉に聞こえるのかも知れませんが、本当に頑張っていたんです。
妹が、「これからも応援してるよ、頑張ってね」と言ってくれました。
寂しいけど嬉しい言葉でした。
当たり前に有る存在は当たり前じゃない。
限られた時間を丁寧に生きる。大切にする。
私は両親それぞれが亡くなった時にそういう様な事を思いました。
頭ではわかっていても、それでも後悔は残るんですよ。
面白い人だったなーとか、
可愛い人だったなーとか、
変なとこあったなーとか、
何でも良いけど、
これからも妹の事を思い出して笑ったり、
想ってくれたら嬉しいです。