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在日朝鮮人とテロリズム ねずさんのひとりごとさん

2015-05-31 08:46:11 | 桜 咲久也

理想国家日本の条件 自立国家日本

2015年05月31日 00時56分42秒 | ご紹介愛国ブログ、一般含む

 

ねずさんのひとりごとさんより、転載、させていただいた記事です

  http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2654.html
20150527 6月の風景

 

 

 

 

 

 

流通用語で、「常識商品」という言葉があります。
「定番商品」よりももっと強い意味になります。
小売店の店頭に、常設的に配置する商品が定番商品ですが、常識商品は、むしろ置いてあるのがあたりまえの商品です。

たとえばパナソニックの乾電池。
コンビニでも、スーパーでも、売れる売れないに関わらず、置いてあるのが常識で、逆に置いてないと消費者からクレームが来てしまう。そんな商品が「常識商品」です。
誰もが知っているのがあたりまえ、置いてあるのが常識、そんな語感があります。

常識化というのは、そういう意味で、誰もが知っていてあたりまえ、それを知らないことはむしろ非常識、というものです。
戦後の日本を考えるとき、気がつけば不条理を常識化されてしまっていることが多々あります。
たとえば、在日朝鮮人問題がそれです。

関東大震災のときの横暴や、終戦後に彼らがもともとは彼ら自身が望んで日本国に併合してもらったにも関わらず、彼らは「準戦勝国民」としての第「三国人」であると名乗り、敗戦利得者となって、焼け野原となった駅前の一等地に勝手に縄を貼り、そこを自分たちが占領した自分たちの土地であるとして勝手に土地を領有しました。
あるいは彼らは徒党を組み、警察署を襲撃し、焼き討ちし、町中で白昼堂々強姦をし、日本人に対して不条理な暴力を振るいました。


終戦後すぐに一切の武装を解かれた日本人の警察官が、はじめにGHQから警棒を所持することが認められ、次いで拳銃の所持が認められるようになったのも、鉄道に公安官が配置されるようになったのも、もとをたどせば在日朝鮮人の不条理な暴力への対応がきっかけでした。

民間人も朝鮮人に対して立ち上がりました。
全国のヤクザは、自警団となり、警察に協力して在日朝鮮人の粗暴な暴力から日本人を守ろうとしました。
ところが、そうした警察や自警団の力が強くなると、とたんに彼らは手のひらを返したように「暴力反対」を声高に叫び、暴力団撲滅運動なるものをはじめています。

昭和40年代にはいると、金嬉老事件(1968年)が起こりました。


手形決済が出来ずに、借金返済を求められた金嬉老(本名:権禧老)が、借金の返済を求めてきた金融業者2名をライフルで射殺し逃走、寸又峡温泉で経営者・宿泊客ら13人を人質として籠城した事件です。

この事件で金嬉老は、自分が手形決済ができなかっただけでなく、一方的に債権者を射殺したという凶行に及び、さらには人質をとって籠城するという凶悪な事件を起こしていながら、「自分がこうなったのは日本人が朝鮮人を差別していることが問題だ」と、理不尽な発言を繰り返しました。

面白いことに、当時のテレビや新聞は、この事件を凶悪犯による凶行事件として報道せずに、「日本人の朝鮮人差別によって引き起こされた事件」として大々的に報道しています。
メディアの偏向は、いまに始まったことではないのです。
また当時の韓国においても、金嬉老は「差別と戦った民族の英雄」として報道しています。

ちなみにこのときの金嬉老の名前の「金嬉老」は通名です。
彼の本名は「権禧老」ですが、すべてのメディアは、一切本名を報道せず、金嬉老の名を用いています。

ところが事件後、一般の日本人に、在日朝鮮人が危険な存在であるということが常識化しました。
このため、その後に日本国内で流行ったのが、通名を「日本人名にしておくこと」です。
要するに在日朝鮮人は、戦後の敗戦利得者として、朝鮮人名を名乗ることで大きな顔をすることができたし、朝鮮人名でいることによって周囲の日本人を威圧することができたものが、金嬉老事件後、朝鮮人名でいると誰もが警戒して近づかない。
そこで彼らは、通名に日本人名を名乗るようになりました。
そしてこの頃流行したのが、日本人の戸籍を乗っ取る「背乗り」です。

けれどそうしたことも、いっさい報道されることはありませんでした。
報道すれば放送局がテロにあう。
担当者が殺される。

日本企業が財力を身に付け始めると、日本企業が彼らのターゲットになりました。
はじめは企業へのユスリ、タカリでした。これは昭和50年代まで続きました。
けれどそれが困難になると、今度は異物混入などの事件を引き起こして、企業の信用を貶め、その企業経営を破綻させることで、ライバル会社である在日企業のシェアをあげるという手段が主流となりました。
このために、多くの日本企業が、莫大な損害を受け、なかには倒産に追い込まれた会社も多々あります。

そして日本の政府は、そうした朝鮮人たちによって被害を被る日本人や日本企業を、一切守ろうとしませんでした。
なぜなら、かつて朝鮮半島は日本だったからです。
私も先輩からよく言われたものです。
「出来の悪い子でも、親は必死にかばうだろ。それと同じだよ。朝鮮半島はかつて日本だった。その朝鮮半島は今も貧しい。朝鮮戦争で日本に逃げてきた朝鮮人も、かつての日本人なんだ。中にはとんでもなく悪い子もいるが、それでも彼らは日本の子供達なんだ。」
それが戦後の常識でした。

安全で安心して暮らすことができることは、普通の人なら誰しも願うことです。
たとえ主義主張が違っていても、肌の色が違っていても、出自が異なっていても、誰もが願うのは、平穏な生活です。
だからこそ日本人は、少々の不条理は我慢してでも、和を大切にしていこうとします。

たとえ傷つけられることがあっても、「戦争に負けたんだから仕方がない。それよりもこれからのことを考えて生きていこうじゃないか。不幸な出来事があった分、それだけきっと幸せになれるのだから」、それが日本人の常識です。

けれど、そうして辛いことがあっても懸命に生きている、もとから日本に住むもとからの日本人に対し、これを辱め、まさに敗戦利得者として差別し、徒党を組んで利権を図り、あるいは宗教を偽装して莫大な富を築く。
歴史を捏造までして、日本人を貶め辱め、何の感謝の心も持たない連中を、私達がいつまでも「私達の子」として、ただ許しているだけでは、もはや済まないのだと思います。

私は、差別はよくないと思います。
しかし、自己の政治的主張や経済的利益のために、他人や他社に対して、物理的な破壊行為を行うことは、「テロ」です。
そして「テロ」は、世界の常識として、これは人類社会の敵です。

現代世界において「テロ」は、物理的加虐行為にとどまらず、精神的加虐行為も「テロ」とみなされます。
これまた世界の常識です。
ですから日本という歴史と伝統ある社会に対して、行われるあらゆる破壊活動は、それが物理的、精神的を問わず、これらは本来、「テロ」として取り締まられるべきものです。

このことに左も右も関係ありません。
たとえ愛国心に裏付けられた行動であっても、それが他者に対する物理的、精神的破壊活動や加虐活動であれば、それは「テロリズム」です。

世界中、どこの国においても、かつて植民地支配された国々がそうなのですけれど、支配され収奪されたら、国は富を失い、国民は貧困のどん底に追い込まれます。
かつて世界中の国や民族がそのようになりました。

ところが日本は、日本人が差別され、馬鹿にされ、富を収奪されながらも国力をあげ、ついには世界第二位の経済大国にまでなりました。
世界の有色人種国、有色人種民族のほとんどすべてが、かつて植民地支配を受けましたが、そこまで支配されていながら、宗主国と同等の富を築いてしまった国というのは、かつて歴史上にひとつも存在しません。

私達は、いまあらためてそのことに思いをいたし、その日本をしっかりと護る。
そしてテロは許さないという強い姿勢をもつべきときにきていると思います。





転載、させていただいた記事です。



 

 http://yaplog.jp/konpei_3/archive/79

無期懲役の判決を受けるが、韓国内では英雄視され、映画も作成される。
服役後 仮釈放されて韓国に渡り、最近になり「母親の墓参り」を理由に日本に一時帰国を申請していたが
韓国に渡る際に、二度と日本には戻らない事を条件に許可しており、拒否されていたらしい

 

(´・ω・`)日本人を殺害すると英雄なのか?

事件後に、通名「日本人名にしておくこと」が、多くなったとは知りませんでした。

在日の犯罪者は、いないということになってしまう。

犯罪者を、通名で報道してきたマスコミは大罪。



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