「希望と民進が自爆、結局「自民有利」という構図の情けなさ」という記事を読んでその通り!と思います。
マジで、明日にも北朝鮮のミサイルが飛んでくるかもしれないというこの時に、こんな情けない選挙に明け暮れてる日本って、マジでヤバい!と。
自分の都合で国会を解散した自民党に、挑戦状をたたきつけたまでは良かったけれど「小池新党」が目指すゴールがもしかして‥「前原首相」!?なら、保守もリベラルもドッチラケ~勝負あった!デス。
で、やっぱり、情けないけど、自公政権しかない!?...
こんな日本でよいのでしょうか?
国民をバカにすると、安倍さんも小池さんもエライ目にあいますよ!
そして、政治家を見る目がない国民が一番バカをみます。
批評家のセンセイ、「幸福実現党」を見てください!まだ議員はいませんが、実現しようとしている「政策」をみて下さい!
あきめるのはまだ早い!
皆さん、批評ばかりしていないで、「では、どうするべきか!どうあるべきか!」一人一人が自分の頭で考えるべきでしょう。
探せば、スグ見つかります!コレが「正解」だと。
多数決ではなく、一人一人が「正解」にたどり着いた時、日本は〝決して負けない国”になるでしょう。
2017.10.5
希望と民進が自爆、結局「自民有利」という構図の情けなさ
今回の衆院選は混乱続きだ。特に野党側は、民進党の分裂に加え、小池都知事が代表で話題となった希望の党でさえも迷走し始めたイメージだ。このままでは結局、自民有利の選挙が展開しそうである。(室伏政策研究室代表・政策コンサルタント 室伏謙一)
自民党の若手議員でさえも
「寝耳の水」だった解散
10月10日に公示される衆院選、解散から選挙まで日数がないばかりか、解散総選挙の方向性が伝えられてからも日がないため、与野党を問わず選挙に向けた準備や体制作りに大わらわだ。当選期数の若い自民党議員たちの中には、解散総選挙の報は「寝耳に水」だった議員も少なくなかった。自民党としては挙党体制を敷いている一方で、人の確保から資金調達、配布物の作成まで、まだまだ混乱は続いているようだ。
しかし、それ以上に混乱しているのは野党の側。衆院解散を前に急遽発表された希望の党の結党、それだけであれば単に離党組や無所属議員による新たな"小政党"の結党であり、代表が小池都知事ということで注目は集めるものの、そこまで大騒ぎをするような話ではなかった。
ところが、民進党が、(1)今回の総選挙における民進党の公認内定は取り消す、(2)民進党の立候補予定者は「希望の党」に公認を申請することとし、「希望の党」との交渉および当分の間の党務については代表に一任する、(3)民進党は今回の総選挙に候補者を擁立せず、「希望の党」を全力で支援する、という前代未聞の決定を行ったことから、まさに上を下への大騒ぎになった。
そもそも民進党はここ数ヵ月で離党者が続出したものの、衆参合わせて100名以上の議員を有する野党第1党であり、支持率は凋落傾向とはいえ、衆院選を戦えないほど低迷しているわけではない。
院選を戦えないほど低迷しているわけではない。
世の中では、さまざまなところで、悪の増殖している状況が見受けられますが、その根本にあるものは何でしょうか。
一つは、戦後民主主義的な多数決原理、「大勢の意見が正しい」という考え方です。
先ほどの学校の例で言えば、子供は、「クラスのなかで、大勢の人が一緒にやっていることは正しい」と考えます。「みんなで万引きをし、みんなで暴力を振るい、みんなでいじめをしているから、それは正しいことであり、その仲間から抜けると損をする」と考えるのです。
このように、多数決によって「何が正しいか」を決める考え方が一つです。
もう一つは、日本の伝統的な考え方である、“ムラ社会”の意識です。
「みんなが同質で、仲間意識を持って同じことをしていれば正しくて、仲間から外れたことをすると悪である」という考え方です。「内容はともかく、みんなと違う意見を言ったり、違う行動を取ったりして、仲間から外れている人、グループ行動をしない人は悪なのだ」と判定する、「村八分」型の原理があります。
これが悪の増殖の原理としても現実に使われています。(中略)
学校で、いじめや犯罪行為などをグループで行っているのを見て、すぐに、「それはおかしい」と意見を言うのは、たいてい、帰国子女や、外国帰りの親を持つ子供です。
また、日本から出たことのない人でも、親がミッション・スクールなどの宗教系の学校を出ていたり、子供自身が宗教的な環境で育てられたりしている場合には、集団でのいじめ行為などを見て「おかしい」と言うことがあります。
しかし、それ以外の人たちは、数の原理のほうを正しいと考え、多数の勢力のほうに巻き込まれていくことが多いのです。
それは、善悪の基準を持っていないからです。
仏や神が、「これは正しい。これは間違っている」と教えていることを信じ、その教えに基づいて行動している人には、「ムラ社会における多数がどうであるか」ということは、あまり関係がありません。
そういう人は、「自分が助かりたい」などとは考えず、真理に基づいて行動し、善悪を判定しようとするので、「こういうことは間違っている」「こんな弱い者いじめは間違っている」ということを、はっきりと言えるのです。
私がいろいろ経験したところでは、外国帰りの人は、けっこうピシッと、「それは間違っている」と言います。
国際的な生き方をするためには、やはり、何らかの基準、普遍的なルールが必要だからです。そのため、国籍やムラ社会の意識を超えるものとして、宗教的な善悪の部分が出てくるのです。
そういう意味で、これからの日本の学校教育においては、インターナショナルな目を持った、宗教的な善悪を教える教育が必要であると強く感じます。(中略)
世の中を良くしていくためには、この世の多数決原理に流されるのではなく、普遍的な善悪は何であるかを考え、行動していく必要があります。
特に、若い人たちは、もっと勇気を持ってください。若いころに勇気を持てないような人は、年を取っても勇気は出てきません。
若いときには勇気があっても、家庭を持ったり、会社での立場ができてきたりすると、だんだん、言いたいことが言えなくなって、保守化していくのが普通なのです。
若いころに勇気がないような人は、年を取ってから勇気が出るなどということは絶対にありません。勇気を出して行動していても、叩かれたり、壁が出てきたりして、だんだん、勇気ある行動を取れなくなっていくのが普通の流れなのです。
しかし、そういう流れに抗して正論を吐く人が世の中にいてくれなければ困るのです。
誰もが「長い物には巻かれろ」ということになっていったのでは、世の中は良くなりません。
いつの時代も、世の中を良くすることを願い、正しいことを実現するための価値観を求めてきたのが宗教です。
宗教は、普遍的な価値観を教えるものであり、「この世的な価値観は間違っている」ということを教え続けているので、昔から、基本的に、この世の価値観を変える“革命運動”の側面を持っているのです。
そのため、多数決を取れば、たいていの場合、最初は、この世的な意見に敗れます。
しかし、「この世は多数決の世界だから、それが多数の意見ならば、しかたがない」と考えた場合には、宗教的真理を地上に打ち立てることはできなくなります。妥協をしたら、それで消えていくのです。
したがって、世の中を良くしたいと思うならば、たとえ、反対されたり、迫害されたり、受難に遭ったりしても、いかに頑張り続けるかが大事なのです。
正しいことを実現するためには、やはり勇気が要ります。
どうか、勇気を持ってください。
勇気を持った生き方をしてください。
『勇気の法』(幸福科学出版)P35~42
「勇気の法」TVCM
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