megamiyamaです。
イザ!には新規投稿が出来なくなったので、古い記事を更新して発信し続けております。
昨日と今日の「花降る里」をコチラに転載致します。
これも「別館 土佐のくじら」デス。
本日、1月19日。 「目覚めよ!日本」 沖縄 名護の市長選、投票日!
2014/01/19 12:17
いい加減「米軍基地の県外移設」や「脱原発」やら非現実的妄想を煽るサヨクマスコミに引導を渡し、沖縄(も東京)も、脱皮の時が近づいてきたようです。
有権者が、マスコミの言いなりになるほど、バカじゃない!という処を、この際国内外に示さねばなりません。
鳩山・管民主党政権時代の悪夢が、地方自治体のレベルで蘇ろうとしている瀬戸際ではありますが、アノ悪夢のお陰で、目覚めた有権者は少なくないハズであります。
例え、「沖縄」でも!例え「東京」でも!
安倍首相が云うように、確かに日本に“日が射してきました”。
以上、昨日の記事を更新しました。
2014年1月18日 12:01
本日、1月18日。明日は、名護市長選投票日
沖縄の市長選にしろ、東京都知事選にしろ…、国を潰そうと目論む“輩”の声をマスコミはクローズアップしすぎます。
ここは名護市民と東京都民の冷静な判断に期待したい処ですが…、何せマスコミの判断が狂っているので、正しい者が悪者に、悪者が善なる者に…見えてくるので、要注意!
最後まで余談を許さない状況が続くでしょう。
土佐のくじらさんを見倣って、アタリマエのことをアタリマエに云える人になりたいものです。
久しぶりに、「別館 土佐のくじら」さんします。
基地問題は、国家が決める仕事。(自由は、責任と義務の範疇にしかない。)
土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
東京都知事選挙が注目され勝ちで、あまり目立たないのですが、今月19日に、沖縄県名護市長選挙があります。
ここで立候補をしているのは、自民系の候補者と、社民・共産の推薦を受けた候補者の一騎打ちです。
沖縄県名護市と言えば、年末に、名護市辺野古への米軍基地移設が決定した自治体です。
沖縄県知事の承諾が直後での、首長選挙ですが、まぁ、市町村の首長選挙なのに、
やはりというか、その争点は、基地移転の賛否のようです。
はっきり申し上げて、市町村レベルで、国家の国防を議論することはできません。
なぜなら国防は、国家の仕事であるからです。
名護市民が、地元に基地移設が嫌な方がいらっしゃるのは、動機的には理解いたしますが、それは無理です。
なぜなら、名護市の理論では、国家は護れないからです。
名護市民が、独自に国防への提示をなさり、その方が理に適っているならば、当然話は違って参ります。
しかし一市町村では、国家は護れないのです。
ですから、いくら名護市民が、基地新設を嫌がる民意を発したとしても、それが適わないからといって、
民主主義がどうのこうのと言う問題では、最初からないのですね。
民主主義の議論の、次元が違うからです。
そもそも、市町村自治で議論できる自由範疇ではない話だからです。
市町村自治で議論できるのは、自由の幅が限定されております。
小中学校の運営などの教育部門や、上下水道の運営、
そしてゴミ処理の運営などが、市町村レベルでの議論の自由の範疇なのです。
国防の仕事やその責任は、国家にありますから、市町村首長選挙の争点に本当は、してはいけない範疇なのです。
なぜなら名護市長では、日本国の国防の責任が持てないからです。
本来軍事基地問題を、市町村首長選挙の争点にしてはなりません。
反対派の市長をたとえ担ぎ出し、「基地反対が市民の民意だ。」と、民主主義の原理を適応してはなりません。
名護市長には、国家は護る責任と義務がないからです。
ですから、たとえ反対派の市長が当選しても、日本国民の総意の元、やるべきことはやらなければないりません。
責任と義務を果たさない自由など、自由ではないのです。
それは、単なるわがままです。
自由とは、果たすべき義務と、責任の範疇にしか存在いたしません。
たとえば、どのような自動車に乗ろうが、それはオーナーの自由でしょう。
軽自動車であろうが、スーパーカーであろうが、リムジンであろうが、
どのような年式で、どのようなカラーであろうが、それを誰も咎めることはありません。
それは自由です。
しかし、いざ運転を開始すれば、自由な運転が許されますか?
「自分はもっと、早く行きたい。」とか、「もっと、コーナーの内側を攻めたい。」などの、自由意見が許されますか?
運転者は、道路交通法という縛りに従わなければなりません。
自由とは、責任と果たすべき義務の範疇にしかないことを、民主主義国家の国民である日本人が理解しないならば、
日本での民主主義や自由は、ただの衆愚制となり、国家の没落と破滅への道となることを警告いたします。
国防の義務と責任を、名護市民は果たすことはできません。
ですから、基地反対論者を首長として選んではならないし、選んでも無駄です。
それが真の自由であり、真の民主主義の姿なのです。
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