アモ~レさんも、「安部談話」をバッサリ切り捨てられました!
megamiyamaなどは、「未来の日本の子供たちに謝罪をさせ続ける未来にしてはいけない」という行(くだり)で、「安部首相、よくぞ言ってくれた!これで「河野・村山談話」から実質的に路線変更出来た!」と思い込み、自分のブログには「グッジョブ! 安部首相」とまで書いてしまいました。
しかし一夜明けた昨日、安部談話を受けての われらが幸福実現党党首、釈量子氏の見解を聞きに行って、愕然!
幸福実現党は「安部首相許せん!」「安部談話の撤回を求める!」の立場だったのです。
「河野・村山談話」のあまりのひどさに比べれば、妥協の産物ではあるけれど、安部首相としてはギリギリの処で踏ん張り、「河野・村山談話」を踏襲すると言いながら、きっぱり決別?するという“あり得ない離れ業”をやってのけたと感心してしまったmegamiyamaは、甘かったようです。
「幸福実現党」という党は、そんな“小細工”を許す党ではないのでした。
問題は、「天」の視点に立って「河野・村山(そして安部)談話」を断罪し、根底から正そうとする「幸福実現党」と、「この世」の視点に立って、反日サヨクにまで気を配り、これまでの歴代の首相の顔も潰さず、過去の歴史や政治的経緯についてはできるだけ当たり障りのない表現を使うことで、誰の批判もせず、かと言って反省もなく、過去・現在・未来を無理やりつないでみせた「安部内閣」。(ある意味、見事なテクニック!)
そのどちらが、今の時点で国民に受け入れられるか?ということでしょう。
釈党首の発表を受けて、午後から炎天下に街に繰り出し、リバティの号外を配るなどしましたが、その号外の見出しは、何と「安部首相 土下座談話」
わざわざ韓国まで行って土下座をしてきたのは鳩山さんなので、最初はその号外かと思いきや、「安部談話」のことでした。
「そこまで言うか?」と驚き、ついていけないものを感じてしまったのが、正直なところです。
「今の安部首相に、あれ以上の談話を期待するのはムリ。未来にむかって一歩前進しただけでも、良しとせねば 」という気持ちになった実現党員も少なくないはず。(自分がそうだから、そう思うのですが)
談話が出た翌日には「安部首相土下座談話、撤回!」を目指し、動き始めた幸福実現党に、どこまで国民の共感がえられるか?正直戸惑っています。
しかし、日本が「神の国」ならば、神々の意向に添わねば、立ちゆかないのも事実。
村山政権で阪神大震災がおこり、管政権で東北大震災が起こり、そして反日サヨクの格好の標的となって苦戦を強いられている安部政権の今、日本の火山という火山が噴火寸前まで来ているように見えるのは、偶然ではないでしょう。、
幸福実現党は、日本の宗教立国を目指す、日本初の宗教政党(公明党は政教分離政党デス)ですから、神の視点に立たざるを得ないのです。
そんじょそこらの「当選すればOK」というタヌキ政党ではないのでした。
幸福実現党が求める「あるべき日本」と、今の「日本」とのギャップ、この温度差こそが、この国の一番の問題点ですが、神の声に耳を傾けず、天意にも気づかない大多数の日本国民と、だからここそ、声を枯らして、「天意に気づけ!神の声に耳を傾けよ!」と、荒野に呼ばわる予言者のごとく、無関心の人々に向かって、叫び続ける「幸福実現党」。
この天と地ほどの隔たりをつなぐ懸け橋になることが、弟子に要求されている仕事だとするなら、「とてもじゃないがついていけない」などと言っている場合じゃないのでした。
釈党首を守護している霊人(守護霊さん)は、何と「源頼朝」!だそうですから、サムライ精神が根絶やしになったような今の日本に、この党首が期待されている役割は、もう一度日本に「サムライ精神」を打ち立てること。これしかありません!
今、現在は、どうしようもなく浮いてみえようが、いつか「日本には幸福実現党しかない!」と言われる日の為に、一切の妥協を廃し、正論(大義)を掲げていくしかないのでした。
弟子も様々‥ではありますが、自分の役割に徹して、ついていかねば!と思います。
というわけで、あも~れさんの“安部談話記事”、貼らせてもらいます。
【安部談話】残念!この国は、幸福の科学が護ります。
全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。
昨日8月14日、安倍首相より発表された戦後70周年記念談話、とても残念な内容でございました。
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n1.html
「子や孫たちの代まで、謝罪をさせるわけにはいかない。」
個人的には、この一文には感銘を受けました。
しかし他の文面は・・・
これでは、日本の誇りは取り戻せません。
そして、日本を護るために散った英霊の方々の名誉が、安倍首相の談話で回復されたとは到底思えません。
ぜひ安倍首相には、今回の談話を、靖国神社で読み上げていただきたいものです。
読むに耐えないはずです。
そして何とも、「どうにでも、解釈しようと思えばできる」文章のオンパレードでした。
また、様々な政治的意図を持つ人たちが、それぞれ喜びそうな言葉をお使いでした。
恐らくは、強く巻き返してきた反対勢力、そして自民党内部にもいる左翼勢力との「世論の妥協点的なもの」を、首相はお出しになったのでしょう。
民主主義国家の為政者として、それは一定の理解はいたします。
しかし何とも・・・、
「砂糖も入れました。塩も入れました。コショウもサンショも七味も、ソースもマヨネーズも入れました。」という風な、なんだかわからない、とても非論理的な談話でした。
もう少し、日本の国家観や歴史観においてのエッセンスをお持ちの方だと思っていたのですが、ポピュリスト(大衆迎合型政治家)の一面の方が強く出てしまったようです。
もう少し、KY(空気よめない)で良いので、ご自身の目指す本来の政治を、自信を持ってなされば良かったのではないでしょうか。
このようなその場しのぎの談話を発表なさると、首相ご自身の談話によって、ご自身が目指す政治ができなくなる可能性が高いです。
政治責任者の公式見解というものは、とても重い責任と影響力を伴います。
それは、河野・村山談話で、日本人が痛感したことです。
世論の妥協点的な、ソツのない談話を発表したおつもりでしょうが、であるがゆえに、とても隙のある談話となっております。
今は読売や産経など、マスコミの方も称えているようですが、今後短期間の内に、中国や韓国などの外国勢力、そして国内党内の反対派などが、今回の談話を機軸に、政権を揺さぶりにかかるでありましょう。
と言っている間に、どうやら韓国では、既に大統領が揺さぶりにかかりましたね。http://www.sankei.com/world/news/150815/wor1508150030-n1.html
ともあれ、今回の安倍首相の姿勢は、まるで日本国や日本の歴史を楯にして、自らの政権の延命を図ったように思えて、私は残念でありません。
自らの身命を楯に、国家を護る気概なくば、宰相になど、なろうと思わないでいただきたいものです!
日本にはもう、釈量子(しゃくりょうこ)しか、人材がいないと思います。
幸福の科学、そして幸福実現党が、日本の誇りを取り戻し、日本を護ります。
靖国神社を参拝する釈量子幸福実現党党首(中央女性)
うかうかしていると、日本はもう、日本でなくなってしまいます。
それは世界の視点で見れば、貴重なお手本国家を失うということになります。
混沌と混乱が、世界を覆いませぬように。
それでは、またのお越しを。
釈量子オフィシャルサイト
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