第4部(4)戦時統制から9電力体制へ
明治期の日清、日露戦争、大正時代の第一次世界大戦を経て、日本の近代化は急速に進んだ。これに伴い、電気事業者も規模を拡大していった。
だが、昭和に入ると状況は一変する。1929(昭和4)年10月24日、米ニューヨーク証券取引所の株価大暴落に端を発する世界恐慌を受け、日本政府は次第に産業界の統制を強めていく。電力事業にはいち早く矛先が向き、国有化への流れが加速していった。
第一次世界大戦後の1920年代、福岡県では、電気事業者が顧客を奪い合う「電力戦」を繰り広げていた。その主役は、大分・日田発祥の「九州水力電気」、北九州工業地帯を抱える「九州電気軌道」、そして九州電灯鉄道と関西電気が合併して誕生した「東邦電力」の3社だった。
この時期、大戦終結によるバブル崩壊で日本は不況の真っただ中にあった。不況下の競争は、企業の体力を削ぎ続ける。電力戦を繰り広げる3社にも経営難を受け、行き過ぎた競争はやめようという協調路線が芽生えてきた。
昭和2(1927)年、九州水力電気と九州電気軌道は、顧客の相互不可侵と低価格競争を禁止する協定を結ぶ。さらに「筑豊の炭鉱王」と呼ばれた麻生太吉が九州水力電気の社長になると、昭和5(1930)年に経営難に陥っていた九州電気軌道の経営権を掌握する。「3強」はここで「2強」になった。
一方、中部、関西、九州と広範なエリアで電力供給を担ってきた東邦電力も崖っぷちに追い込まれていた。恐慌で保有株式の価格が暴落したことに加え、円安により海外で発行していた社債の支払い負担が急増したからだ。
社長の松永安左ェ門は、徹底したコスト削減とともに、ガスや鉄道事業を積極展開し、乗り切っていく。これらの事業が後の西部ガスや西日本鉄道、JR九州に繋がっている。
企業家精神の死
だが、民間電力事業者が切磋琢磨した時代は終わりを告げた。
昭和12(1937)年の日中戦争勃発をきっかけに、日本経済は戦時統制下に置かれ、翌年には電力会社の反対を押し切って電力国家管理法が成立した。
「国有化されれば、自由な企業家精神は死ぬ!」
こう主張してきた松永は統制を進める官僚を「人間のクズだ」と激しく罵り、一線から退いてしまう。
昭和14(1939)年、半官半民の「日本発送電」が設立。九州をはじめ日本の発電所は日本発送電の所有となる。各事業所や家庭への配電は「九州配電」など、全国9ブロックごとにできた配電会社が担う。
だが、同年、日本は深刻な電力不足に襲われた。異常渇水による水力発電の出力不足に加え、設立したばかりの日本発送電の石炭調達がうまくいかなかったからだ。この体制のまま、日本は終戦を迎えた。
電力の鬼、再登板
連合国軍総司令部(GHQ)は、日本経済の民主化の名の下に財閥解体を進めた。日本発送電も解体の対象の一つ。これが電気事業の再編である。
GHQは再編の具体案を作成する審議会の会長に松永安左ェ門を登用した。戦時統制の流れに敗れ、10年間にわたって茶道三昧の隠遁(いんとん)生活を送った松永は74歳にして表舞台に帰ってきた。
松永は全国を9ブロックに分け、それぞれに置かれる電力会社が、地域の発送電に一貫して責任を持つ9分割案を強く主張した。小規模事業者が乱立し、電力事業者の経営が不安定となった戦前と、国家統制の結果、民間活力を失った戦中の両方を見てきただけに、戦後復興に欠かせない安定した電力を実現するために「これしかない」と考えたようだ。
形勢は松永に不利だった。5人の審議会メンバーのうち松永を除く4人は、日本発送電をある程度温存しようという意見を主張した。労働運動激化の波に乗ってストライキを頻発していた「日本電気産業労働組合」も、組織率低下に繋がる会社分割には強硬に反対した。
一方、GHQは「10分割案」を持ち出してきた。GHQ案は松永案に近いようだが、決定的な違いがあった。松永案は大消費地の電力不足解消を目的に、エリア外に発電所建設を可能とする「凧(たこ)揚げ地帯方式」を採っていた。対するGHQ案は凧揚げ方式を認めず、エリア内の電気を全て自前でまかなう完全分割だった。
四面楚歌の松永だったが、猛烈に巻き返しに出る。その行動力は、まさに生涯を電気事業にかけた「電力の鬼」だった。
松永はGHQで電力再編担当のケネディ経済科学局顧問に目を付ける。ケネディは、米オハイオ州の電力会社の会長だった。電力会社経営という同じ経歴を持つだけに懐柔しやすいと考えたのだった。実際2人は初対面から意気投合した。
後に通商産業相となる池田勇人の支持も得た松永は25(1950)年、ついにGHQ総司令官マッカーサーに9電力会社体制を認めさせた。後に沖縄電力が加わって、現在の10社体制となる。
昭和26(1951)年5月1日。九州電力が誕生した。初代社長の佐藤篤二●(=郎の旧字体)は、新会社設立に当たってこう訓示した。
「電力事業の使命は需要家のサービスである。このためには事業の安定が必要だ、需要と供給を安定化し、それによって経営の安定化を実現する。これを目標として、諸君一同の協力と努力を切に希望する」
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