光りの進軍  光りよ通え・・・☆

合言葉は光の使命を果たす。
心一つに情報発信

生前退位では、天皇制そのものが危うくなる。

2017-06-11 07:38:40 | 幸福の科学高知 なかまのぶ

http://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho?fm=rss

2017-06-11 01:43:34 | 時事法談

 

  お陰様でベスト10入りできました。これからも応援クリックお願いします!

天皇陛下の生前退位を可能とする特例法(譲位特例法)が、9日の衆院本会議で可決、成立しました。

平成31年(2019年)元旦から、皇太子殿下への譲位となり、新年号がスタートするもようです。

今上天皇は御年84歳になられるご高齢ですので、憲法に定められた国務行事をなさるだけで大変です。

国務行事というのは、恐らく、国家元首としてのご公務ということになるのでしょうが、憲法に記されているがゆえに、「休めない」という現状があるわけです。

もしも陛下が、ご公務を拒否なさったら、内閣の決定事項や国会での決議がたちまち滞るわけです。

国事行為、つまり総理大臣の任命や各大臣、最高裁判所長官の任命、国会の召集、法律や条約の公布、大使の信任状の認証、栄典の授与、外国の要人の接受などがあります。

閣議決定事項などは、陛下はすべて目を通されるとのことで、年間で約1000件もの事例に署名も毛筆でされ、御璽(ぎょじ)と呼ばれる公印を押されるとのこと。

これらはご執務と呼ばれるそうですが、を毎週火曜日と金曜日の午前中の閣議終了後に午後から皇居内で行われており、ご静養中で、宮中外であっても、書類を運んでご執務を行われるということです。

また、「栄典の授与」つまり、天皇陛下から叙勲や褒賞の勲章授与式典では、授与される対象者の名簿と受賞理由が書かれた「功績調書」と呼ばれる書類の内容に、陛下は全て目を通し許可の印を押した上で、ご春と秋のシーズンで約5000人近くの対象者全員に、陛下御自ら授与なさるそうで、とてもありがたいことなのだけれど、陛下のお身体のご負担を考えると、一国民としてとても心苦しい限りです。

「公的行為」では、は国会の開会式への出席、行幸敬、外国への訪問、国賓・公賓の接遇、ご会見、ご引見、拝謁、お茶会、ご会釈、午餐、晩餐、園遊会、外国大使の信任状奉呈式など、皇族外交を含めた、元首としてのお仕事があり、「行幸敬」では、被災地にお見舞い、戦没者の慰霊、全国植樹祭、国民体育大会などの行事へのご出席、福祉施設等への訪問など。

ご高齢の上、大病をなさったお体を押して、国民の象徴としての務めを果たして来られた陛下を思うに、心からのご尊敬と感謝の思いをい抱かずにはいられません。

ただ、「ご高齢の陛下の、日々の激務からの解放」が理念であろう今回の譲位特例法ですが、大きな大きな問題点があります。

それは、「天皇」の本質を欠いたまま、ただ「きつい動労条件をそのままに、若い皇太子に任せよう」的な発想をしているからです。

「天皇」の本質とは何か。

それは、「祈ること」なのです。

日本神道の最高神官が「天皇」であり、今上天皇も日々、宮中で祭祀をなさっています。

これも日々身を清め、平安衣装に着替えて、日本と世界の五穀豊穣と平和を祈っていらっしゃいます。

つまり、「天皇」の本質は、「宗教家」であるということなのです。

なぜ「天皇」が宗教家であり、それが古来より脈々と引き継がれているかというと、「天皇が皇祖、天照大神の肉体子孫である」という信仰があるからなのです。

ですから「天皇」は、本質的には「国王」ではないんです。

欧米で言えば、ローマ法王のようなお立場なんですね。

大川隆法幸福の科学グループ総裁も、今上天皇の生前退位のことをとても心配していて、「宗教家に、定年はないです。なぜなら、その方がこの世に生きていること自体が、神からの祝福の証だからです。」と仰った。

そう、ご公務が大変なのは、一国民としてよく理解しているし、多くの国民はそう思っています。

しかしそうであるならば、憲法を改正してご公務を整理するなり、皇太子を執政としてご公務をなさっていただき、御自身は宮中行事に専念していただくなどが良いと思う。

「上皇」というのは、確かに日本の歴史にも存在するが、上皇とか法皇と言う時代の後、武士が台頭し天皇制が危うくなっています。

これらは上皇や法皇など、天皇立場が上のポストができることで、「天皇」が持つ宗教家としての権威が、相対的に落ちてしまうからかも知れません。

日本の歴史では、天皇制を何とか維持しましたが、重要なのは、その頃の日本人には、強い信仰心がありました。今はどうでしょうか?

とにかくも、今の憲法の「国家が宗教に関与してはいけない」がいけない。

現憲法下では、天皇の宗教家としての側面を、国家が国民に知らせることもできないし、もしも「天皇=宗教家の本質が、憲法違反だ!」との言いがかりをつけられないとは限らない。

つまり現状では、天皇=宗教家という本質を、国民に大きく認識させることもできず、また、国民からの尊敬を受けなければ、天皇制そのものの存続も危ういという、日本の国体にとって、極めてスリリングな局面にあるのです。

      

ともあれ、現状の問題点解決抜きにして、このまま生前退位をなさるのは良くないと思うのです。

なぜなら、大川隆法幸福の科学グループ総裁が、「あんまりよくない」と言ったことは、本当に、その後はもう、ろくなことが起こっていないから。

それらは、民主党政権樹立、8%消費増税、玉虫色の戦後70周年安倍談話など、その例は枚挙にいとまがない。

最近では安倍政権下での改憲論議で、「9条にそのまま自衛隊明記案」がそれ。

それ、絶対によろしくないです。

ともあれ本日は、大川隆法幸福の科学グループ総裁と釈量子幸福実現党党首との対談本と、日本神道主催神にして皇祖・天照大神の霊言から、関連部分をご紹介いたします。

              (ばく)

   ランキングに参加中。クリック応援お願いします!  

天照大神大いに語る―vs.大川咲也加―【CM動画】

 

皇室を守るための大統領制とは~幸福実現党釈量子党首に聞く「大統領制と皇室」【ザ・ファクト】

 

 http://www.irhpress.co.jp/promotion/h7039/

明治天皇のように、「陸海軍を統帥する」となっていたら、いかにも元首だろうと思いますが、今の天皇が元首かどうかは、議論が分かれるところですよね。元首かもしれないし、元首でないかもしれない。

それでは、首相が元首なのか、元首でないのか。

どちらも、よく分からない状態で、結局、権力の中心がどこにあるかが分からないんですよね。

これが、無責任体制が発生する原因の一つですよ。

今、改憲論が盛り上がっていて、「改憲したほうがいい」という意見が国民の七割ぐらいにまでなってきているので、もし、「天皇が元首である」と言うのであれば、「今上天皇による改憲の詔」というものを出したらいいんですよ。「国会は、速やかに改憲すべし」という「改憲の詔」を出せばよいのです。(中略)

それで、この詔に従って、国会議員が審議をし、改憲に乗り出すかどうかですが、もし、乗り出さなかった場合、天皇は、以後、一切の法律案に署名しなければいいわけです。

例えば、国会が内閣総理大臣を指名しても、任命しなければよいのです。天皇の署名がなければ、内閣は成立しないのですから、“ストライキ”をしたらいいんですよ。

そのように、「天皇は元首である」ということを、自らお示しになられたらよろしいと思いますね。

法律論であれこれ言うのも結構ですが、これは、天皇の意志によって、現行の憲法や法律の枠のなかでできることです。

ぜひ、天皇陛下には、「憲法改正の詔」を発していただきたいと思います。それで、国会が何もしなかった場合、それに対する糾弾が国民のほうから起きてくるかどうかを見れば、この元首制の問題も、はっきりと決着がつくはずです。(中略)

憲法上、天皇は、「日本国民の総意」に基づいて置かれているわけなので、国民の総意に基づいて置かれている天皇が詔勅を出され、それで、国会が何も動かなかったら、問題があるでしょうね。(中略)

国民の総意に基づいて天皇制がある一方で、国民主権というものがあります。

この部分は、法律論的、憲法論的には、本当はぶつからなければいけないところなのですが、なぜか、訳が分からないまま、うまくくっついています。

その理由は、実は、「宗教と政治が一体化しているのが日本の政治の本質だから」なんですよ。(中略)

この部分を無視して、政教分離だけを言っているわけですから、憲法学者もジャーナリストも、本当はまったく分かっていないのだと私は思います。右翼も分かっていません。(中略)

右翼も、「皇室を守る」と言っていますが、「天皇は神々の子孫だと分かっているのか」と言えば、それは、全然、分かっていないのです。そもそも神棚が消えていますのでね。

だから、もう少し根本的に考えなければいけないですね。

『猛女対談──腹をくくって国を守れ』(幸福実現党刊)P35~38

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=997

 

「世界の一パーセントもないような、小さな国土に住む人たちが、世界のリーダー的な地位を持つまでに繁栄した」ということに対して、十分な感謝の心を持たねばならないと思うのです。

それが奇跡であることを十分に認識しなければならないのです。

その繁栄が奇跡であることを認識したならば、おのずと知れず、信仰心が湧いてこなければならないはずなのです。

その信仰心のもとなる、明治以降の国家神道のなかで、いちばん問題であったものは、「神道そのものが宗教であることを否定し、『それは習俗であって、外枠だけだ。いわゆる鳥居だけであって、なかを何が通るも自由である』と自己規定した」ということであったので、今、「神々にも、きちんとした考えがある」と述べているわけです。

「聞く、聞かない」は、自由です。

しかし、「聞かなかったならば、聞かなかった者として扱いを受ける」ということは知ったほうがいい。(中略)

先の大戦では、アメリカに敗れはしたけれども、日本がしようとしたことのなかには、「欧米が、この五百年間つくってきた白人優位の思想、有色人種迫害の思想を打ち砕く」という目的が入っていて、この目的自体には、聖なる戦い、ジハード、聖戦と同じ意味合いが、きちんと入っていたのです。

「そのために戦った人たちを、すべて悪人のように国民が扱い、近隣の諸外国からも言われ続ける」という状態が続くようなら、もう、残念ながら、「この国の未来性は極めて低い」と言わざるをえない。

なぜ、中国や韓国に気兼ねして、この日本の国の首相が、日本国民に選ばれた首相が、靖国神社に参拝することさえできないのですか!

そして、その足を引っ張っているのが、日本のテレビ局や新聞ではないですか。

日本の、左翼にかぶれた国民たちではないですか。

彼らは、いったい、どれだけの義務があって、アジアの諸外国を今、侵略しようとしている国々に信頼を寄せ、この国を売ろうとするのか。

この点、反省していただかなければ、われらとしては、納得がいきません。

国民が選んだ首相であるならば、わが国の英霊をきちんと祀るべきであると思いますし、首相だけでは足りず、天皇陛下も、きちんと靖国神社に行き、先の戦争で亡くなられた英霊に対して、心からの感謝の思いを伝えるべきであると思います。

つまり、「諸外国に対して侵略的行為があったことが遺憾である」などと言うことが仕事ではなくて、「自分たちの仕事を完遂できなかったことが遺憾である」ということであるのです。

『天照大神の未来記』(幸福の科学出版)P121~125

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿