2月に入ってから、ほとんど毎晩、You Tubeでテレビ時代劇のバックナンバーを視聴しています。
数年前は、同様に「剣客商売」を集中的に視聴してました。
そして毎年、ある時期、あるいは何かしらのきっかけがあって時代劇を検索しての視聴ですが、今回は「鬼平犯科帳」でした。
数日前に、山田五十鈴が出演する一遍があり、エンドクレジットに流れる出演者名に「浅◯XX」の「浅」の字が、視線をかすめた時、ふと昔、通い詰めた浅草観音裏・浅草三丁目、言問通りの二本裏手の通りで、挨拶を交わしていた浅香光代氏を思いだします。
言問通りの二本裏手の通り、そこは週三、週四で通った一角で、馴染みの店の手前が、過ぎた12月に92歳で鬼籍に入った女優、浅香光代氏の住まいでした。
ふと、「すでのかなりのご高齢のハズ」と思い、ググってこの詳細を知ることになり、感慨と驚いたような。。(合掌)
ググってから、いくつかの興味深い情報がヒットしましたが、この投稿では、若き日の、往年のイメージとは異なる画像がありましたので挿入します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/fb/c8568d8ef8542547b9baff3c9ddd41c6.png)
この時代の画像には、後の女剣劇のスター座長の貫禄の片鱗も見ることができません。
彼女は神田の生まれでした。← Google Wiki
芸能人らしい綺麗さで、女剣劇で見せる濃厚な舞台化粧からはチョット想像し難い印象ではないですか。
漏れ伝わる伝聞のことは、この画像の数年後のことだと推理すれば納得できる芸能界らしい雰囲気を感じます。
後年の野村沙知代との「ミッチー・サッチー騒動」では、事実上の判定勝ちし、浅草の住人の喝采を浴びたことも忘れられない話です。
遅ばせながら、ここに、改めてご冥福をお祈りします。
※次回投稿で、故人にまつわる、あと一つの思い出を発信する予定です。