和光を除く、三棟ののビルやその周辺には、大型ディスプレーの
広告塔や装置がひしめいている。
その三愛側には、派遣会社の広告が結構目をひく。
派遣会社の存在がいつ頃から始まったのか―おそらくバブルがはじけた
頃からだと思う。
派遣会社はその後、バブル後の企業がリストラを強いられたときから
その存在を主張し始め、いまや完全に市民権を得ている。
派遣会社・派遣社員の存在は日本の企業に大きな環境変動をもたらした。
その一、お局さんが消えた。
かっての日本の会社には各部署に社内経験豊富、当然高齢のお局さんがいた。
お局さんは、時には人事サイドから観れば、コストのかかる結構やっかいな
存在ながら、お局さんが在籍する部署では、重宝な存在であった。
在籍する部署においては、新人教育、相談相手、部署の管理者にとっては
阿吽の呼吸で仕事を任せることが可能な、きわめて貴重・重宝な存在になっていた。
そのお局さんが、企業のリストラ政策の過程で、リストラされ、彼女らがのほとんどの業務は派遣社員にとって代わった。
この頃からだと思うが、一般の女子社員の教育、特にインフォーマル組織での、
教育風土が崩壊し始めた。
インフォーマル組織での、教育
言葉使い
礼儀
作法
時にはプライベートの事など
今は、女子社員の言葉使い聞いていると、上司との会話は、対等、お友達言葉、タメ言葉が珍しくなくなった。
かっては、お局さんが、女子更衣室や、社内食堂なんかでそれとなく女子社員の教育・しつけをしていたに違いない。
崩壊した文化・風土を懐かしむのも、活火山が年とった所為か?
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