滋賀県大津市の公立中の男子生徒の自殺した問題で、いろいろ報じられている。
他の国の事は知らないが、日本社会には、残念ながら<いじめ>は存在する。
学校や地域、職場等いたる所で<いじめ>は存在する。
関係者が調査の結果、<いじめ>の事実は無かったと白々しく言うが、絶対にある。
あったから死を選んだのだ。
<いじめ>のない学校や職場、社会は理想だが、そしてなくそうと努力をしてもなくならない
ものの一つがこの<いじめ>だ。
なくなるための、なくすための努力は必要である。
が、この努力をするという事は、<いじめ>の存在を認めることにほかならない。
ならば、どうだろう。
ここには<いじめ>が存在すると明言してしまう。
いじめられて死に追い込まれる前に、学校なら不登校を認めてしまう。
この陰湿な<いじめ>で死を選択する必要は無い。
不登校が<いじめ>情報の発信であり、本人の安全保障なのだから、関係者は
はっきりと明言しよう、教育しよう。
<ここにはいじめがあります>
<いじめられて、困ったら学校を休んでください>
<問題の解決まで、不登校してください>
と
はっきり明言する事が、児童、生徒、学生を唯一自殺から守る手だてだ。
少なくとも日本では、<いじめ>はどこにでも、日常的にある。
赤穂浪士の原因となった江戸城松の廊下に刃傷事件にしても、やはり<いじめ>が原因。
日本語にははっきりと<村八分>というキーワードがある。
<仲間はずれ><疎外>
自由で研究、勉学の場である大学にだって、暴力的な<いじめ>が、旧軍隊内務班等は教育という名目
で日常的な暴力的な<いじめ>が存在した事は誰しもが知ることだ。
日本の風土に浸透したかにみえる<いじめ>は絶対になくならない。
活火山は明言する。