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JAL123便の事故は、おGGが脱サラして、江東区にある友人の一族が経営する会社のフロアの一部を借りて企業した頃の盆休みが始まる頃だったと記憶します。
当時は、救援に向かう自衛隊の車両が、高速の料金所でその都度料金の支払いを求めれる様子がテレビで写し出されて、言いようのない憤り、不条理感を感じてそれを、カミさんと話したこと、歌手の坂本 九さんが上客の中にいたことを知り、何とも言いようのない記憶が蘇ります。
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今年になって、JAL123便の事故に関する、情報を発される、複数のYoutuberさんの情報を目にする機会があって、事故の関してたは、特別の印象を持つようになったという経緯があります。
Youtuberさんのコンテンツにある共通の「主張」と「仮説」の説得力は想像以上のものがあり、得てしてこの種の情報に関して「陰謀論」の三文字で脇に追いやられることには、容易に受け入れがたいものがあります。
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陰謀論とは、別に、
- 事故が1980年代の中曽根康弘政権下でのことであり、
- 当時が日本バブルの起点にの時期であり、
- 日本の経済力が絶頂期の始まりで、日米衝突が表面化した時期
に、いつも注目します。
事故に関する、情報を発される、複数のYoutuberさんの情報のお一人に、エコノミストで経済評論家の森永卓郎氏がおられます。
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エコノミストとしての彼の視点は、上述の日本が置かれた当時の経済、社会、日米関係を切り口にした構成になっていて、その内容はYoutubeコンテンツとは別に、視点、見解を上梓しておりますが、大手の出版社は一様の出版を辞退したといわれており、アマゾンで書籍の画像を得ました。
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発信の内容を知り、複数の情報を検証すると、森永卓郎 氏の説に傾く自分がおります。
今、彼は余命を宣告された病魔との闘病中でもあり、今日の午後、自分のYoutubeのホーム画面に対談されているコンテンツが露出して、思わず視聴する機会となりました。
公開されておる病名にたがわない様子でなお、現在を生きる姿に感動を覚えます。
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かって身内を同系の病魔で送った一人とて、森永卓郎氏の闘病については、毎朝平日に視聴する文化放送のニュース解説系番組に出演されるご子息の森永康平氏と寺島尚正MCとの対話の中で、時折話題になっていたこともあり、他人事とも思えないような気になり、気持ちが曇ります。
今日視聴した対談で、ご本人が、事故に関する上梓が、従来から付き合いにある大手の出版社が辞退したとする内容の紹介を聴くに付け、「タブー」なのだろうと思う惚けおGGです。
日本人が「陰謀論」という時、そこには「事実だから『タブー』なのだ」という世界があるのだと理解できる瞬間のようでもあります。
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敢えて、動画リンクは避けますが、以下のキーワードでの動画サイト検索で視聴可能のハズです。
日航機123便, JAL123, 日航機墜落, 森永卓郎