8月になりました。 日本人には何かと熱い時季になります。
天候もそうですが、 東京以外は旧盆になります。
旧盆の前には、広島・長崎の原爆投下、 鎮魂の日が、 8月15日の終戦の日まで続きます。
民族系、市民派を問わず、何かと心熱くなるのが、 日本人にとっての8月ではないでしょうか。
昨年の備忘録を見ておりましたら、 どういう訳か【旧陸軍のアッツ島玉砕】関するでメモが残っておりました。管理人の思い入れのある事項です。
アッツ島は日本からみて北北東、 アリューシャン半島の東、 アラスカのベーリング海に連なる列島の一つになります。
戦時中では、 恐らくアメリカ本土領域に最も肉薄した島だったのではと思いますが、 管理人は戦史に関してはあまり詳しくはありません。
1943年5月29日、アッツ島には山崎保代大佐の指揮下アッツ島守備隊2,650人が、 11,000人のアメリカ軍と17日間の戦闘の末、最後の電文を打電後、玉砕しました。
大東亜戦争を通じて、 最初の玉砕です。
山崎司令官は、 玉砕に際し機密書類を焼却、 最後の突撃を行い、その打電後無線機を破壊処分する旨を大本営に打電しました。
これについて、 真偽は別れておりますが、
玉砕の模様はよく30日、昭和天皇に上奏されました。
昭和天皇は上奏した杉山元参謀総長へ「最後までよくやった。 このことをアッツ島守備隊に伝えよ」とご下命されました。 杉山はこれに、「守備隊は全員玉砕した為、打電しても受け手が居ません」と答えます。
昭和天皇は、「それでも良い。 電波を出しなさい」とご下命されました。
昭和天皇のご下命で、 受け手のない昭和天皇のお言葉が、アッツ島に向けて打電されたことのエピソードを知り、 このことをメモにしてたのでしょう。
諸説はあるようです。 Wikipedia でも、 昭和天皇のお言葉の言われ方も異なっていますが、管理人はこの流れが、最もふさわしいと思っております。
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