櫻井よしこ氏の画像を探したら、95ページ画像ファイルを遡ってしまいました。
意外でした。
遡っていくと、河添恵子氏、有本香氏、福島香織氏、金美齢氏は数ページから頻繁に露出しますから、やはりご本尊は奥深いところのいたことになるようです。
保守言論人の櫻井よしこ氏を認識したのは、同書が発刊されたのが1994年ですので、当時「武士の娘」の書評紹介をラジオ番組か、新聞書評欄でなら産経紙だと記憶します。
著者の杉本鉞子(えつこ)はwikiでは「越後長岡藩の家老、稲垣茂光(平助)の六女として新潟県古志郡長岡(現長岡市)に生まれる」と記載。
そして、以前から、櫻井よしこ氏が越後出身ということは承知してたので、この接点を切り口に紹介された書評の内容は新鮮で啓発されたものです。
新渡戸稲造の「武士道」と並ぶ名著だといまでもその認識は自分の中では不動の存在で、その存在をインプットされた櫻井よしこ氏も同様の存在になった瞬間でした。
1994年といえばバブル時代でしたので、櫻井よしこ氏は、その喧騒爛漫の時代の警鐘をならしたものと、後年認識を深めて記憶があります。
数週間ぶりにfacebookをひらきましたら、いきなり自分のタイムラインのトップにあるのが自分が運営するfacebookページ「台湾海峡黙示録・改」の広告出稿を促す釣り記事です。
しかもこれを見る限り、櫻井よしこ氏が、この「台湾海峡黙示録・改」に「ページのいいね」の足跡を残されたかのような印象を強調してることが見て取れます。
かって「台湾海峡黙示録」が立ち上げ後2年あまりで、1,000人の大台を超える「ページのいいね」を頂き、運営者の自分も気合が入っている最中です。この中に櫻井よしこ氏の足跡を見た時の興奮は際立っていました。
複数の「シブい系」言論人の足跡を頂戴したページは2015年1月に凍結制裁を受け、非公開・削除になるはずでした。
それで、急遽、新規にfacebookページ「台湾海峡黙示録・改」を立ち上げたという経緯があります。こちらは、現時点で6年経過で664人のフォローワーさんでと止まっている状態で、気合がはいっておりません。
上のセグメントで「非公開・削除になるはずでした」と書きましたが、これは、8ヶ月後に、なんとページが生きていたのです。
世界のFB、天下のFBのシステムが一見せたスキでした。
その背景は簡単に想像、理解できます。
それで始まったのが、日本facebook社のサードパーティの暗躍を機会ある毎に発信しました。
当時は保守系のアカウントが一方的にbanされ、削除されていた時代のピークの頃です。 ちなみに削除されて新アカウントを作成して投稿を続けるfacebookの友達に、次のメッセージを発信しました。
「削除されたはずの旧アカンウントにログインしてみてください。おそらくログイン可能になっているはずです」
ほとんどのアカウントがアクティヴでしたことはいうまでもありません。
2020年9月20日ころ、オフィシャルに、サポートにメール通信を入れました。
そして、常のナシのつぶてであった、相手に対して、メール文の結句に
テキメンでした。
以来、一度もban制裁は無しで来ています。
それでも。現在「台湾海峡黙示録」には
「ページは非公開になる可能性があります。 」
が入っております(^o^)
そんなユーザー感覚でいる時に、信念をぐらつかせ、日和らせるツールとして、奥の院から「御真影」を出してくるとは、facebook社はかなりカネに困っているかもしれないデス\(^o^)/