最近、原稿段階で、音声入力を利用しており、慣れないせいか、まだ結構時間がかかる嫌いがあります。 さりながら、これは直感的ですが、慣れで近未来には、カバーできる問題と確信してます。
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個人的な事情。。
個人差もあってのことかも知れませんが、Skype、Lineといった端末系通話以外は、ほとんど日本語を話さない環境で、10年近くなります。
そうした中で、オーラル日本語力が確実に劣化していることを、嫌でも認識させられます。
たまに日本語を話す機会があっても、会話がスムーズになっていないことに、もどかしさを感じます。
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暇にまかせて、「会話」「会話力」「会話成立構造」をアホなりに、かつ、実体験を重ねて、勝手な根拠を考えたことがあります。
卒論なら、「考察を試みた」というべき表現の世界です。
経験的に思うのが、「発声と会話」には、
- 的確に、瞬間的に
- 相手の情報を理解する
- 並行して、反応すべき言葉という論理的情報の組立てをし
- 適当なタイミングという間をとってカウンターをいれる
この繰り返しで、会話が成立するすると思っております。
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通常なら無意識に、各過程のそれぞれのプロセスで、常に刺激という緊張モードに思考回路を置いていることになるはずです。
きっと、脳生理学的、あるいは思考回路というようなところに、激しい刺激と興奮をインプットしながら、思考の構築、意思の伝達というアクションを並行して実行してるのだろうと想像できます。
あの空間での訓練のうような体験が独特のコミュニケーション力を構築したはずなのに、今の劣化には、悲惨さすら感じることがあります。
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浦島太郎なら、龍宮 で過ごした極楽モードの世界で、おそらく一切の緊張と刺激を必要しない環境をエンジョイしたのではと想像します。
快適な環境で、美女に囲まれ、鯛やヒラメの舞を観ながら、美酒を飲み、活造りを食べての生活でしょうから、悩むことも、なにか不満を伝える必要もなく、口を開けば、新鮮な活け作りの魚肉、貝、海藻が口に運ばてくる訳です。
きっとトイレは、海洋深層水のウィシュレットであったとも想像できます。
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今浦島的kazanが、突然日本語で会話をしようとしても、生理的な感覚の、熱い、寒い、風が冷たい、お腹が減った、トイレに行きたいといったシンプルなな意思の発信は可能です。
しかし、決して「今日はなぜ熱いのか」「なんで、今日は風が冷たいのか」、下手すれば「朝飯をたべたっけ」、それでも「小腹が空いて。。」という論理的思考回路を刺激し使役するような緊張モードが少ないだけに、思考と論理の組み立てという作業への負荷は一切かけていないようなことになります。
筋力でも、歩行力でも、負荷がかからないと、その部分の運動能力は低下するし、機能も退化しますが、言葉・会話・論理の組み立てという分野でも同様だろうと思います。
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そんな事情から、思いたって始めたのが、カラオケで日本語の歌を歌うということでした。
ひとりカラオケでも、ある種の緊張感の中で、音を拾い、ディスプレイの歌詞を追い、それにあわせて発声、歌にする訳ですから、脳内の運動、判断機能を刺激するのは確実です。
それで初めたのが、勝手な呼称で「自主ボイトレ」という「ひとりカラオケ」の実行でした。
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一年前に、逝ったマダムkazanの実姉の突然の訃報を知りました。そのショックで歌う気分にもなれず、中断しました。
その状態で、年末には、胃の摘出手術。
退院後は、3月頃に、寝てても暇なので、少々トライしたものの、今度はコロナ陽性で、ほぼ1週間の自主隔離。
明けて、テンションが上り再開すると、安倍晋三元総理の狙撃・暗殺事件で、「自主ボイトレ」どころではなくなりました。
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そろそろ、再度、復活を賭けて「再開を」と考えています。
脳内刺激には、ウィーキングと声を出し、他人さんとコミュニケーションをするのがもっとも重要と解った、足掛け二年でしたデス(^^)