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ブログ katsukazan/活火山★時々の四方山話

かって接点を持つ業界にいて、先輩諸氏が最も苦労をかけられていたことを忘れていはいないゼ!

初めてディリーの記事を取り上げますが、脊髄反射でカウンター投稿したい衝動を制御できない心境。。

初めて水沢市に行ったのは、35歳の時か。
都市が開けた1月か2月頃、水沢駅は、時期でもない南部鉄の風鈴が多数ぶら下がり、嫌でも、「南部鉄の名産品」を思わせるあの時に風情はインプットされているデス。

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当日は先輩のパートナーと一緒に取引先を訪問し、一泊することになり、夜には食事を振る舞われたのが、名物という「泥鰌鍋」で、当時はあるトラウマから、最も苦手な料理の一つでした。(今では江戸風の、それも浅草・かっぱ橋通りの飯田やのどせう鍋は大好きデス)

その時、鍋を囲みながら、延々と伺ったのが、彼が水沢の帝王であり、大変な権力を持っている現実でした。
当然話の内容は、建設業界にいた若造でも、営業部長との会話の中に「かくすじ」「メジロ」という言い回し、符牒スジの大番頭として、さらに自民党内で権勢を誇ったは藩閥の本流の一角という認識はイロハのいでしたので、十分すぎるくらい容易に理解可能な話でした。

その後に彼が辿った道筋だけは、理解不能、承服不能なレベルです。

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その一端はこの画像で理解できるはずと想像しますが。。

 



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これだけ、日本の政治を私物化して、しかも根底に国家観不在、政治利権だけでこの空間を泳ぎ、地域に君臨したという罪状は多くの日本人が知っている事実だろうと指摘したい。

「壊し屋」とい言う異名で、その通り名通りの生き方として、それが公人でないなら許されても、保守からナンチャラ保守、さらに完全に反保守、挙げ句には極左との繋がりすら公然とされてる政党に移り、今また反保守の筆頭政党に復帰している現状に驚きます。

あきらかに、極左と連携する勢力と立憲ナンチャラとのブリッジ役、パイプ役、潤滑剤で存在するだろうという見方は、はたして間違いだろうか?

その意味で、「選挙区民の責任は大きい」と言えます。まさに、この表現は反面教師そのものだろうと断言できます。


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村上誠一郎議員・旧高村派・現山東派ながら、無派閥とも言われているが、今回のこの巨悪の発言は、
村上議員が、さほどに組織内でスポイルされないでいる古巣の現状に、貧相低劣極まりない、ヒステリックな反応をしましたのだろう。

まだ、ディリーがここまで取り上げたことに、意味が深そうだ。




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