いのりは、いのちを生きしめる源
であります。我々人間のいのちというものは、
この世に、ただ20年30年生きている
それだけのいのちではないのであります。
宇宙の星々を浄めきよめて、そうして
地球に降立ったのが私達なのです。
生命はもともと神の光を受けた
澄み清まった流れなのですが、人間がこの
地球世界に住むようになって、いつの間にか
業を自分の主人だと思うようになって
しまった。
今はこうした業をすっかり払い、世界平和
の祈りのなかで、新たな光にみちた霊人の
生命(いのち)を回復する時なのです。
障りなどというものの一切なかった
霊止(ひと)のいのちへと帰す時なのです。
といって、肉体を亡ぼすのではありません。
そのまま、肉の身のまま霊身になるので
あります。その一番の近道、易行道が消えて
ゆく姿で世界平和の祈りという私の唱導した
この教えなのであります。
これは全く、私個人の我から出てきた教え
でも祈りでもありませんで、五井昌久という
一個の人間が、神様にこの身、このいのちを
ささげて、どうぞこの人類世界を真実に救い
導く方法をお教え下さいと、うまずたゆまず
自分というものを忘れ、自分というものを
おいて祈った末に、神様の心が私のなかに
ひびき、私は真実の私自身との、自己との
対面を果たすことができたのであります。
真実の自己は、全く白光そのもの、光
そのものの自己でありました。私はその
対面を果たした瞬間、自分のふるさとへ帰る
ことを許された者のみが味わう何ともいえぬ
感激を味わったのであります。
そして人は、人のいのちは、みな等しく
このようにかがやいていることを知ら
されたのであります。この真実を伝え
つづけてゆくことが私の使命であることを、
この身にも心にも識らされたのであります。
このいのちのかがやきは、神様の愛と
知恵によるのでありますが、さらに、この
かがやきを、つよめ、深めるのが、私ども
一人一人の世界人類が平和でありますように、
日本が平和でありますように、私達の天命が
完うされますように、守護霊さん守護神さん
ありがとうございますという世界平和の祈り
なのであります。
この祈りには、一点の私もありません。
それでいて、私ども一人一人の個々の
いのちと、この地球世界に生きるすべての
人々とをしっかりと結んでいる祈りなのです。
聖書に、神は光あれといわれた、すると
光があったと世のはじまりと記しています
けれども、実際、宇宙は、混沌のなかから、
神が、自らの愛と光をなげわかって、創造
された大生命なのであります。
このことをおもいますと、我々のいのちの
源は、宇宙であり、宇宙を創造された大生命
である神の愛と光であり、その神、宇宙神の
みこころそのままをあらわした世界平和の
祈りをとなえることで、我々はすでに、
我々のいのちの源、愛と光のなかに抱かれて
いるということがいえるのであります。
我々は、肉体をまとう前は、霊そのもの
であり、霊止(ひと)であって、宇宙の
星々を経めぐり、いのちの光の花々を
咲かせながらこの地球にくだってきたので
あります。
我々の本心本体は、よくこのことを記憶
しているのでありますが、世界人類、
宇宙人類の一人として、世界平和の祈りを
心にひびかせますとき、私どものひびきは、
宇宙大奥のひびきと一つに溶け合って、光を
おりなし、おのずからいのちの源へと
とけこんで参るのであります。このことを
考えて、日々世界平和の祈りを唱えて
まいりましょう。
昭和61年11月22日・12月2日 記
であります。我々人間のいのちというものは、
この世に、ただ20年30年生きている
それだけのいのちではないのであります。
宇宙の星々を浄めきよめて、そうして
地球に降立ったのが私達なのです。
生命はもともと神の光を受けた
澄み清まった流れなのですが、人間がこの
地球世界に住むようになって、いつの間にか
業を自分の主人だと思うようになって
しまった。
今はこうした業をすっかり払い、世界平和
の祈りのなかで、新たな光にみちた霊人の
生命(いのち)を回復する時なのです。
障りなどというものの一切なかった
霊止(ひと)のいのちへと帰す時なのです。
といって、肉体を亡ぼすのではありません。
そのまま、肉の身のまま霊身になるので
あります。その一番の近道、易行道が消えて
ゆく姿で世界平和の祈りという私の唱導した
この教えなのであります。
これは全く、私個人の我から出てきた教え
でも祈りでもありませんで、五井昌久という
一個の人間が、神様にこの身、このいのちを
ささげて、どうぞこの人類世界を真実に救い
導く方法をお教え下さいと、うまずたゆまず
自分というものを忘れ、自分というものを
おいて祈った末に、神様の心が私のなかに
ひびき、私は真実の私自身との、自己との
対面を果たすことができたのであります。
真実の自己は、全く白光そのもの、光
そのものの自己でありました。私はその
対面を果たした瞬間、自分のふるさとへ帰る
ことを許された者のみが味わう何ともいえぬ
感激を味わったのであります。
そして人は、人のいのちは、みな等しく
このようにかがやいていることを知ら
されたのであります。この真実を伝え
つづけてゆくことが私の使命であることを、
この身にも心にも識らされたのであります。
このいのちのかがやきは、神様の愛と
知恵によるのでありますが、さらに、この
かがやきを、つよめ、深めるのが、私ども
一人一人の世界人類が平和でありますように、
日本が平和でありますように、私達の天命が
完うされますように、守護霊さん守護神さん
ありがとうございますという世界平和の祈り
なのであります。
この祈りには、一点の私もありません。
それでいて、私ども一人一人の個々の
いのちと、この地球世界に生きるすべての
人々とをしっかりと結んでいる祈りなのです。
聖書に、神は光あれといわれた、すると
光があったと世のはじまりと記しています
けれども、実際、宇宙は、混沌のなかから、
神が、自らの愛と光をなげわかって、創造
された大生命なのであります。
このことをおもいますと、我々のいのちの
源は、宇宙であり、宇宙を創造された大生命
である神の愛と光であり、その神、宇宙神の
みこころそのままをあらわした世界平和の
祈りをとなえることで、我々はすでに、
我々のいのちの源、愛と光のなかに抱かれて
いるということがいえるのであります。
我々は、肉体をまとう前は、霊そのもの
であり、霊止(ひと)であって、宇宙の
星々を経めぐり、いのちの光の花々を
咲かせながらこの地球にくだってきたので
あります。
我々の本心本体は、よくこのことを記憶
しているのでありますが、世界人類、
宇宙人類の一人として、世界平和の祈りを
心にひびかせますとき、私どものひびきは、
宇宙大奥のひびきと一つに溶け合って、光を
おりなし、おのずからいのちの源へと
とけこんで参るのであります。このことを
考えて、日々世界平和の祈りを唱えて
まいりましょう。
昭和61年11月22日・12月2日 記