(質問) じゃあーうちの病院から二人
来てますが…?
(答) 患者さんも、家族の人も、職員の
人も全部来ている。その病院が建つまでの
土地の縁もあるでしょう。
例えば、その病院に、もし呪縛霊的な
執着があって離れられないというような
ものがあったとすると、それも全部浄めら
れてゆくわけです。
だから、あなた方が来るということだけで、
あなた方が動くだけでパァーッと浄められて
ゆく。だから何も考えなくてもいいんです。
力まなくてもいいんです。神様がして
下さる。そういうものなんです。ですから、
成就するんだ、大丈夫だと思ってやること。
自信を持ってやること。
しかし、肉体人間の私がやろうと
思っちゃあだめです。そういう力みが
入ったら、汚れ、にごって、苦しくて、業
しか来ない。私が背負いましょうとね(笑)、
私が何かしましょうと思うとね、それは
ものすごくしんどいんです。肉体だから
すごくしんどい。
受けなきゃならない人もあるけれど、
みんながみんなそれをやる必要はない。
みんなそれぞれの持ち場で、何ごとかを
分担してやっているわけでしょう。
ですから、みんながそんなもの背負って、
十字架を背負ってやることはない。その為に
私が来たのだから。
五井先生と呼べばいい、神様って呼べば
いいし、守護霊様、守護神様って呼べば
いいんです。それでみんなつながって
行くんだから。何もこれをやらなくちゃっと
思ってやる必要はない。何をしたって、
目標を定めてどうだこうだと思って
やる必要は全くない。時期が来たら、それは
成る。
300、ここに有るとしたら、ここで撒か
れる為にある、どこかで、その時期に
まかれる為に300ある。300をどうしよう、
なんて思うと捌(は)けませんよ(笑)
500どうしようと思ったって捌けません。
1000来てどうするなんて思ったら、
こりゃ捌けませんよ(笑)ね。成るように
成っているから成るんです。たとえそれが
計算違いのようにみえても、来るように
なっているから来る。(笑)だから、それを
待っていればいいのね。祈りながら待って
いれば絶対そのようになる。力んで
する必要はないんです。
その為に四次元の光を降ろしたんです。
それで、光が通りやすくなってる。
例えば、普及活動というのは、入会を
すすめることではなくて、人間が
こういう風に生きて行ったら、光の生命に
なりますよ、みんなそうなるんですよ
ということを広めてゆくということでしょう。
一つの宗教が大きくなるために普及活動
するのであれば、そんなものは解散した方が
いい。それは神様のみ心の中に入らない。
神様のみ心というものは、大宇宙の大調和
であり大愛である。その光が人間の心の中に
ふり注がれて、人間の本来の生命へ
帰るために、世界平和の祈りというものが
宣り出されてこちらへ来たんだから、そこへ
帰って行くための運動でなければいけない。
一つの宗教なんて、役目が終われば解散
されていいわけです。世界人類というものが
神様につながっていて、神様から分けられて
来た生命であるということを喜び合える、
その為の援助として我々が祈りの先達として、
パイオニアとして新しい世界の先達として、
ここに居るんだという、ただそれだけの話。
しかし、他の人に比べて偉いとか、他の
人達は心境が低いとか、そんなことを思う
権利は誰にもない。みんな平等な神様の愛児
なんだからね。先程も申し上げましたように、
これからは、人間対人間、国対国とかいう
レベルではなくて、この地球の、宇宙
すべてのものが神様の息によって造られて
いる、愛によって造られているのだから、
みんなが等しくそれぞれ分かれて来た生命
だというところへ思いを致して行くと言う
ことが、本当の意味で、世界平和を来たら
せることになるわけです。
ですから、この先生がこう言った
あの先生がこう言ったとか、そんな小さな
ことに思い煩うことはない。放っとけばよい。
肉体人間ですから、時に間違うことも
あるし、時にややこしい中に巻き込まれる
こともある。
色々なことがありますよ。しかし、それも、
神様の大きな目から見たら、朗らかなもので、
それ自体はかわいいものです。何を忘れては
いけないかというと、祈りを忘れては
いけないという事です。それだけです。
非常に単純なことです。ですから
その単純なことを日々実行して下さい。
来てますが…?
(答) 患者さんも、家族の人も、職員の
人も全部来ている。その病院が建つまでの
土地の縁もあるでしょう。
例えば、その病院に、もし呪縛霊的な
執着があって離れられないというような
ものがあったとすると、それも全部浄めら
れてゆくわけです。
だから、あなた方が来るということだけで、
あなた方が動くだけでパァーッと浄められて
ゆく。だから何も考えなくてもいいんです。
力まなくてもいいんです。神様がして
下さる。そういうものなんです。ですから、
成就するんだ、大丈夫だと思ってやること。
自信を持ってやること。
しかし、肉体人間の私がやろうと
思っちゃあだめです。そういう力みが
入ったら、汚れ、にごって、苦しくて、業
しか来ない。私が背負いましょうとね(笑)、
私が何かしましょうと思うとね、それは
ものすごくしんどいんです。肉体だから
すごくしんどい。
受けなきゃならない人もあるけれど、
みんながみんなそれをやる必要はない。
みんなそれぞれの持ち場で、何ごとかを
分担してやっているわけでしょう。
ですから、みんながそんなもの背負って、
十字架を背負ってやることはない。その為に
私が来たのだから。
五井先生と呼べばいい、神様って呼べば
いいし、守護霊様、守護神様って呼べば
いいんです。それでみんなつながって
行くんだから。何もこれをやらなくちゃっと
思ってやる必要はない。何をしたって、
目標を定めてどうだこうだと思って
やる必要は全くない。時期が来たら、それは
成る。
300、ここに有るとしたら、ここで撒か
れる為にある、どこかで、その時期に
まかれる為に300ある。300をどうしよう、
なんて思うと捌(は)けませんよ(笑)
500どうしようと思ったって捌けません。
1000来てどうするなんて思ったら、
こりゃ捌けませんよ(笑)ね。成るように
成っているから成るんです。たとえそれが
計算違いのようにみえても、来るように
なっているから来る。(笑)だから、それを
待っていればいいのね。祈りながら待って
いれば絶対そのようになる。力んで
する必要はないんです。
その為に四次元の光を降ろしたんです。
それで、光が通りやすくなってる。
例えば、普及活動というのは、入会を
すすめることではなくて、人間が
こういう風に生きて行ったら、光の生命に
なりますよ、みんなそうなるんですよ
ということを広めてゆくということでしょう。
一つの宗教が大きくなるために普及活動
するのであれば、そんなものは解散した方が
いい。それは神様のみ心の中に入らない。
神様のみ心というものは、大宇宙の大調和
であり大愛である。その光が人間の心の中に
ふり注がれて、人間の本来の生命へ
帰るために、世界平和の祈りというものが
宣り出されてこちらへ来たんだから、そこへ
帰って行くための運動でなければいけない。
一つの宗教なんて、役目が終われば解散
されていいわけです。世界人類というものが
神様につながっていて、神様から分けられて
来た生命であるということを喜び合える、
その為の援助として我々が祈りの先達として、
パイオニアとして新しい世界の先達として、
ここに居るんだという、ただそれだけの話。
しかし、他の人に比べて偉いとか、他の
人達は心境が低いとか、そんなことを思う
権利は誰にもない。みんな平等な神様の愛児
なんだからね。先程も申し上げましたように、
これからは、人間対人間、国対国とかいう
レベルではなくて、この地球の、宇宙
すべてのものが神様の息によって造られて
いる、愛によって造られているのだから、
みんなが等しくそれぞれ分かれて来た生命
だというところへ思いを致して行くと言う
ことが、本当の意味で、世界平和を来たら
せることになるわけです。
ですから、この先生がこう言った
あの先生がこう言ったとか、そんな小さな
ことに思い煩うことはない。放っとけばよい。
肉体人間ですから、時に間違うことも
あるし、時にややこしい中に巻き込まれる
こともある。
色々なことがありますよ。しかし、それも、
神様の大きな目から見たら、朗らかなもので、
それ自体はかわいいものです。何を忘れては
いけないかというと、祈りを忘れては
いけないという事です。それだけです。
非常に単純なことです。ですから
その単純なことを日々実行して下さい。