皆さんおはようございます。今日は、愛
ということについてお話したいと思います。
人間が生きてゆくなかで、欠かすことの
出来ないものは、いくつかあります。水、空気、
その他考えれば色々ある。これらは、私達の
肉体が生命を保つ上で、欠かせないものです。
よく、山道に迷って、一週間、水だけで
生きのびたなんていう記事がありますが、
水は、本当に、我々の生命の源なんですね。
ところで、この生命の源ということも、
ずっと考えてゆきますと、最終的には、愛に、
神様の愛にたどり着くわけです。
空気や、水は、我々の肉体の生命を
生かしめるために、是非とも必要な、欠かす
ことのできないものでありますが、その肉体を
養い、またかたちづくっている根元は、愛
という神の心なのであります。
我々一人一人の生命は、神の愛、神の光を
受けなければ、とても生きつづけられるもの
ではありません。
人間は、神の愛によって生かされている。
そして又、神の愛が、この身に、心に、
喰い込んでいる存在なのであります。
このことを忘れて、本当に生き生きと生きる
ことはむずかしいのであります。
思いやりを持つこと、人をおもうこと、
愛深くあること。神の愛は、私たちの中に、
光となって宿っているのです。
一人が一人に、やさしく接する時、そこに
神様の光はかがやくのであります。私どもの
心も平和になるのであります。
愛というものがあって、はじめて生きることが
出来る。人間とはそういう存在なのであります。
愛すること、愛されることを知り、祈ること、
祈られることのなかに、真のよろこびを見出して
ゆく、私達はそこにこそ存在のよろこびを
見出してゆくのであります。
昭和61年8月27日 記
五井 昌久
ということについてお話したいと思います。
人間が生きてゆくなかで、欠かすことの
出来ないものは、いくつかあります。水、空気、
その他考えれば色々ある。これらは、私達の
肉体が生命を保つ上で、欠かせないものです。
よく、山道に迷って、一週間、水だけで
生きのびたなんていう記事がありますが、
水は、本当に、我々の生命の源なんですね。
ところで、この生命の源ということも、
ずっと考えてゆきますと、最終的には、愛に、
神様の愛にたどり着くわけです。
空気や、水は、我々の肉体の生命を
生かしめるために、是非とも必要な、欠かす
ことのできないものでありますが、その肉体を
養い、またかたちづくっている根元は、愛
という神の心なのであります。
我々一人一人の生命は、神の愛、神の光を
受けなければ、とても生きつづけられるもの
ではありません。
人間は、神の愛によって生かされている。
そして又、神の愛が、この身に、心に、
喰い込んでいる存在なのであります。
このことを忘れて、本当に生き生きと生きる
ことはむずかしいのであります。
思いやりを持つこと、人をおもうこと、
愛深くあること。神の愛は、私たちの中に、
光となって宿っているのです。
一人が一人に、やさしく接する時、そこに
神様の光はかがやくのであります。私どもの
心も平和になるのであります。
愛というものがあって、はじめて生きることが
出来る。人間とはそういう存在なのであります。
愛すること、愛されることを知り、祈ること、
祈られることのなかに、真のよろこびを見出して
ゆく、私達はそこにこそ存在のよろこびを
見出してゆくのであります。
昭和61年8月27日 記
五井 昌久