人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
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CWLP(宇宙子科学)セミナーの資格について(1)

2012-04-09 10:41:05 | スピリチュアル
 (問)もう一つ、CWLPセミナーの資格について
ですが、これは昌美先生のご指示だということ
でしたが、その中の一つに大学卒云々というのが
ありましたが、あれはちょっとおかしいのでは
ないか、又、昌美先生の御命令に素直に従える人
というのもどうかと思います。昌美先生を
とりまく人達の配慮が足らないのではないか
と思われますが・・・

 (答)あのね、例えば斉藤さんの霊験巡講記を
読んでもね、まだ私が生きている頃ですよ、
昌美が宇宙子科学の人達のあのメンバーの力を
使って、白光真宏会の力を使って、世界を平和
にしてゆきますというようなことを、
エンジェラスカラーさんを通して言わせた。
 そうすると、斉藤さんがすごく感激
しちゃってね、昌美先生の言葉は五井先生の
言葉と同じだと、古い会員は皆そう思っていると
書いている。確かにそうなんですけど、
斉藤さんがあの時点でああいう風に言ったことと、
今回のああいう風な出し方というのは、内容
というか本質が全然違うんですよね。

 大体、御命令というのは、あれは斉藤さんの
あのしきりで言えば、五井先生というのは何か
というと、五井先生というのは場所でしょ。神様の
場所ですよ。だから五井先生というのは、
空なんですよ。五井先生というのは、皆から
質問が来て、自分で考えてどう答えようかなあ
とは一度も思ったことはないんですよ。要するに、
天の気が流れてくるままに、そのまま
答えてるんです。それが五井昌久なんです。
 肉体の五井昌久と神体の五井昌久と
皆こうなっちゃうんですがね。講話集にも
書いてあるけれどね、生きてる間私は便所にも
行ったし散髪も行ったしね、入れ物なんだから
ちょっと磨かなきゃと思って行ったんだけれどね。
 要するにそうなんですよ。神様が必要な時に
私に宿る。何でかというと、五井先生になる前の
五井昌久という人間は、神様の方に生命を
返しちゃって、そこで自分を捧げたから、
世界人類が平和でありますようにという一念に
生きさせて下さいということになった。
 自分自身が素直になった為に、あの様な現象に
なった訳です。

 だけど、それは誰もが出来ることなんですよ。
 本当の意味では、生命を投げ出したら、人間
というものは神様の子供ですから、誰だって
五井先生と同じになれるんですよね。そういう
人が増えてくれば私はすごく楽になる、昌美も
楽になる訳ですけど、本部がこの間言った
昌美先生の御命令にというのは、私自身の解釈
で言えば、要するに、昌美を通して五井先生
という人を通して、後ろにある神様に素直に
なれる人ということに結局なる訳です。
 ただ言葉が非常に不親切で不適切でね、
昌美先生の御命令というのは、肉体人間の
西園寺昌美という個性のきつい人間という風に
とってしまうと、人間に対してどうして
ということになりますからね。その辺が非常に
言葉が足りないんですよまだ。

 勿論、親衛隊みたいに昌美をとりまいている
人達がいるんですよ。それはいいとか悪いとか
じゃなくて、それはその人たちの役目なんですよ、
守るということが。それはどういうことかというと、
肉体的にも精神的にも非常に不安定なんですよね、
あの人は。今修行をやっていて、瀬木さんとか
高橋君とかががっちり守ってくれないと、本当に
バラバラになっちゃうんです体が。疲労度も
ひどいんですよ。そういう意味で、守る立場の人も
いるんです。必要なんです。

 但し、それだけで固めちゃって、結局昌美先生は
底辺に降りてゆかないということになれば、これは
とんでもないことなんですよね。本当に、
一人一人の嘆きや苦しみを自分のものにする為に、
今ああやって修行している訳ですから、
そこのところを間違えたらいけないのと、大学卒業
というのは、どこの誰がどうやって決めたのか、
いつの間にかポコンと出てきたことですが。
 要するに、あれは、世界中に白光の教えが
広がっていくから、どこの外国に行っても
大丈夫なようにというのが、そういう意味が
大学卒になっちゃったんでしょうが、それに
してもね、じゃあ大学を何かの事情で卒業
できなかった人とか、途中で止めた人とかね、
行かなかった人とかね、それでいて優れている人。
 すごく音楽が上手だとかね。そういう人は
どうなるのかというのがあって、あれは絶対
書いてはいけない言葉なんですよね。あれは間違い
なんです。但し、ああいう形で集まって来た資格の
中に入って、尚かつ純心でという人はいるかも
知れませんよね。それで集められて鍛えられて
人間はやっぱり育ってゆくもんですから、そこで
もうちょっと幅広く活躍してもらう為に鍛えて
ゆこうと、こちら側ではそう思っております。
 ただ、ああいう言葉使いというものは
するものじゃない。