人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

CWLP(宇宙子科学)セミナーの資格について(2)

2012-04-10 08:50:25 | スピリチュアル
 (問)本部が招集した御修行を必ず済まされる方
というのは、そうすると、職員の方くらいしか
不可能で、地方の普通の職を持っている人は
ほとんど参加できなくなるのでは。


 (答)それはおかしいですね。人間というのは
ものすごく幅の広いものですからね。肉体だけ
ではないし、幽体も霊体も神体も持ってるから、
行こうと思えば何処にでも行けるんですよね。
 だから、肉体的に聖ヶ丘に行かなくても富士に
行かなくても、想いをそこに飛ばせば、錬成会でも
何でも皆全員出てるということは、霊的に
こっちから観ればそうなんですが。

 実際に自分で肉体を運んで足を引きずって、
くたびれたけど良かった、あの人に会えたとか、
あの先生に会えるとか、ああいい話だったとか、
やっぱり自分の記憶にきっちり刻み込んで、感激
したとか感動したとかというのがあって初めて、
人間というのはね、ああ自分のものになったな
という気持ちになる訳でしてね。ですから、本質的
には皆そこへ行っているのと変わりは
ないんだけれども、ああいう枠をはめてしまうと、
第一寂しくなりますからね。あのやり方というのは、
何か宗教というものを取り違えてるのが書いたんだ
と思いますけれど。

 まあでも今、白光はそういう風にちょっと逸れて、
逸れることで、本当に愛するとか労わるとか優しく
するということがどういう事かを、これから
学ぶんですよね。一回そういうことをガツンと
やらないと、生みの苦しみをやっておかないと、
人間は本当にやさしくなれないんですよ。やはり、
あれだけの組織になっちゃうと難しいところも
あるんだけれども、それは集団であれ個人であれ、
個人が個人に対してだって、本当に優しさの極み
まで愛してゆくということはとても難しいことで、
極みまで愛せるのは神様しかいないんですよ。神様
しかいないんだけれど、人間の真実の姿というのは、
神様の姿を写した、神様の愛の光を受けて生まれて
来ているもんですからね、神様のお姿ですから、
神のように愛することは出来る筈なんです。

 その自覚をもって覚悟をもって、自分を赦し人を
赦す、自分を愛し人を愛すという、それが出来て
ゆくようになればですね、本当の意味で出来て
ゆくようになれば、本部も地方も何もかも
無くなっちゃうんです。で、寂しいということから、
皆が、自分達は何が出来るか、自分達にも
これが出来る筈だという反発だとかね、そういう
ものを下から突き上げていってくれて、その人達は
その人達で、本部に放ったらかされたから、
もうあんな本部には尽くすまいという形でね、
自分と神様との関係がおかしくなってゆくと、
本末転倒になっちゃうんですよ。そうなっちゃあ
困るんです。

 自分と神様との関係というのは、原稿にも
書きましたけれども、人間はね面白くないことが
あったり、くだらない事があったりすると、止めた
ということが出来るけれど、神様はいかに人間が
くだらない行為をしても、もう愛することを
止めようかなというところまでいっても、神様
というのは、いつも赦して愛して、赦しっ放し
愛しっ放しの人なんですよ。神様の方から人間を
放たれたということは人間の誕生以来
ないんですよね。だから、そういう愛情
というものが神様から注がれている人間で
あるんだから、少々のことで神様の愛から
離れないようにしなくてはいけない。
 神様の愛から離れないようにするということは
どういうことかというと、そういう色々腹の立つ
ことはあるだろうけれど、その中で、じゃあ自分を
大事にする、相手を大事にするという基本的な
ところは、自分にとってどこなんだというところを
祈り心でもってやっていってもらわないと
どうしようもないんですね。