人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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(漢詩)無 題(一)

2011-06-20 10:42:13 | スピリチュアル
天任安自
永遠相観生命
小我去逝
天得住家
本来心点
光一元流
宇宙如何
己裡内在
唯任在天
御御心旨
大我如何
悠々流河
心素直溶
海没入陽
月明道停
真如想之
唯一神心
己住心住
水鏡止闇

                      植芝生          
             昌  久



    無題の読み方

てんに任せておのずから安んじ    
                           やす      
とわなるすがたをいのちに観ず
                            かん
しょうがをさりてゆくとき
てんにすみかをえ
ほんらい心にひかり
いちげんのあかりをともす
宇宙とはいかが
おのが内にあり
ただまかせよ天にある
(ざいてんの)おみこころみむねに
たいがとはなんぞ(いかが)
ゆうゆうとながれるかわといわんか
こころすなおに
うみにいりひをみるとき
げつみょうの道にたちて
しんにょをおもうこれすなわち
ゆいいつ神(かみ)のこころを
           
          しん   
おのがうちに住まわするとき
みずかがみのごとく闇をとどむ
        
                    やみ                       
                      植芝生
             昌  久

三諦即宇宙之源

2011-06-19 11:00:17 | スピリチュアル
三諦即宇宙之源真美愛也。
サンタイはスナワチウチュウノミナモトにしてシンビアイナリ
空寂即天界霊人性ニシテ
クウジャクスナワチテンカイレイジンのサガ
之ヲ人間平等ニ分ケ与ヘ光ト為ス。
コレ   ニンゲン ビョウドウ  ワ    アタ   ヒカリ  ナ
光ハ凡ソ  
       オヨ
アラユル息アルモノ
            イキ
息ナキモノノ中ニヒソミテ
                 ウチ
地ヨリ
 
海ヨリ
ウミ
宇宙ヘタエズ呼ビカケヲ為セリ
 ウチュウ          ヨ           ナ
スナワチ
光ト光ヲ身内ニヒソマセル
ヒカリ        ミウチ 
人間ソノ他アラユルモノハ
ニンゲン      タ
天界之愛子ナレバナリ。
テンカイ  ノ  アイシ
生命ヲイカナル時ニモ楽シミ
 イノチ              トキ      タノ
オノガ持場ヲ全ウセント努ムル者ノ
         モチバ   マット         ツト      モノ
思ヒハ
オモ
之、天界、霊人、守護神ノ
コレ  テンカイ    レイジン   シュゴジン
ヨミシタマフコトニシテ
一木一草ノ意ニモ相通ズル。
イチモク イッソウ  ココロ     アイツウ  
コノ時
     トキ
正ニ
マサ
人身モアラユルモノモ
ジンシン
宇宙之法則ニカナフモノトナラン。
ウチュウ ノ  ホウソク
コハ約束言ニシテ
      ヤクソクゴト
祈リノアルトコロニ光ヲツウジ
イノ
必ズ成就スベキ
カナラ  ジョウジュ
自然ノコトワリ ナリ。            
 ジネン

     昭和59年12月14日

大元之光

2011-06-18 10:14:50 | スピリチュアル
         序文

 大元の光とは、神の大愛を指します。
 この大愛がなくては、我々はひとときも
生きてゆくことができません。
 神の愛は、我々一人一人の肉の身を
つらぬき、天命をつらぬいて、絶えざる光明を
この世界に、宇宙にながしておられる真実を
語ったつもりです。
            平成元年12月27日                           
                  五井 昌久

人間の真実のすがたは光であり愛である

2011-06-17 10:31:35 | スピリチュアル
光というものが
すべてのあらわれのもとなのです
肉体人間の身体にしても
こまかい光波、粒子といっていい
光の粒が無数に支えているんです

で、もっとみていくと
ただそこには
神の智慧(霊)だけがあるんです
これを私は本心の光と
呼んでいます
霊があって
はじめてそれを人というのです
なぜなら人間は
神様の智慧(愛)によって
この地上に
つかわされたもので
あるからです
私どもは神の愛から分かれてきた
分生命(わけいのち)であり
分霊(わけみたま)なので
あります

人間の真実のすがたは
光であり、愛であるのであります
それは肉体人間だけをいうのでは
ありません
この世に
60年70年生かしめるだけの
愛ではない
人は神とともに
世界平和の祈りのなかで
宇宙と宇宙人類の進化のために
働きつづける器なのであります

みずからのこころをすなおにして
神に祈りをささげ
神をしたいつつ
この地球世界を愛と平和の気で
満たして
ゆく
それぞれの持ち場で
世界人類が平和でありますように
と祈って下さるときに
我々は光となって
無数の神霊や宇宙の兄弟と
ともに働いて
いるのであります

世界を平和にし宇宙を平和にする
それは神のみこころである
と同時に
我々人間が真実希求
しつづけてきた祈りで
あります
世界平和の祈りのもとに
我々は本当の人間の姿
我々自身の姿を
しっていくのであります

世界平和の祈りを祈ることは
光に出会うことであり
自分自身にかえる
ことなのであります
私どもは私どもの
ふるさとである大元の
いのちと光、神の名をよびつつ
その愛のもとに世界平和の祈りを
なしつづけて
朗らかに永遠の進化の道を生きて
まいりましょう
        平成2年2月8日 記

             本当の人間 了

無限のなかで私たちは生かされている

2011-06-16 10:06:52 | スピリチュアル
私たちのいのちは
ずっと宇宙と宇宙神のみこころにまで
つながり、つらなっているので
あります
無限のなかで
私たちは生かされているのです
祈って祈って祈り抜き
すきとおるまでに高い魂を持つ
兄弟たちが
私たちのこの地球と地球人類に
光を送りながら
進化の行方(過程)を見守っている
のであります
彼らはずっと前から光を送りつづけて
くれていたのですが
今や
私たち一人ひとりの器をとおして
地球の浄化を
私たちとともに
成し遂げ
宇宙神のみこころである
宇宙の完全平和にむけて
まい進してくれているのであります
私たちの器
それは
世界平和の祈りを祈りつづける
ときに
人間本来の霊光をあらわす
光明体としての私たちの器を
いうのであります
前にもいいましたように
人は
自覚せざる霊人であったわけですが
今日のように
変化の激しい時代
まさにこの地球が
新しい時をきざもうとするこの時期に
あたっては
私どもは
霊(神の智慧の光)が私どもを
みちびいている
私どもはその光を持っているのだ
という事実を自覚しつつ
世界平和の祈りを祈りつづける
ことによって
一人一人が
光の送り手となっていかねばならない
ときになってきたのであります
一人一人のおもいと祈りがこの世界を
かえていくのであります
こう申しますとちっぽけな人間一人に
何ができるか
と多くの人は思ったようでありますが
それは
人間というものを
肉体という不自由きわまりない
世界でしか
生きないものとみるところからくる
思い込みでありまして
くり返して述べておりますように
人間というものは
そんなちっぽけなものではないので
あります
人間は
神の分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)であって
つねにその大愛と無限の世界から
光を送られているものであり
また同時に
神界霊界幽界にも存在して
働きつづけているものなのであります
つまり
人間というものは
自由自在な働きを
本来
その世界で
神の光をうけながら
なしつづけていくものなのであります
なしつづけているものなのであります
ところが
この肉体というものをまとううちに
肉体にまつわる我というものが
出て参りまして
本来肉体は
人間の地上での衣服であるにすぎない
筈だったのが
長年月の間に
業想念と光とが入りまじって
しまったのであります
そして
それを人間のすがただとおもい間違って
しまったのであります
そこで
この地上に生きる我々自身の長い間の
思い込みを払い
自分自身をのこりなくあらわすために
すなわち
光明そのものの自分
永遠のいのちのなかに神を
たたえてゆく自分をあらわすために
祈りというものが
必要になったのであります
なかでも
消えてゆく姿で世界平和の祈りを
なしつづけて参りますときに
我々は
大元の生命(いのち)
光へとかえってゆくのであります
いのちというものがずっと神から
ながれてきて
私どもを養い
光(愛)が我々の智慧として
本心を照らしているという事実を
私どもはこの世界平和の祈りのうちに
しらされてゆくのであります
そうして
我々人間の本来の姿
愛と
智と
祈り
のうちに
朗らかに
生きとおして
神のもとへとかえってゆく人間の
すがたは
実に永遠に宇宙へと溶け入り
遂に
中心帰一
神の
大慈光のなかへと
みちびかれていくことを
しるのであります
 平成2年2月6日、8日 記