人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(3)

2013-09-25 07:41:13 | スピリチュアル
       (前日から続く)
 その習慣を解き放っていくものは何かというと、
やっぱり祈りであって、いつも言いますように、
祈りというものは、自分の生命を宣り出してゆく、
本当の生命を宣り出してゆく、そういう
ものですね。だから、痛いとか苦しいとか
辛いとか、痛がっている自分がある、肉体の
自分がある。だけども元々の自分は痛みも
しなきゃ辛がりもしない自分がある。どうかして
そこへ自分の想いを届かせたい。だけど
それを焦って苦しんで背伸びをして、そこへ
行かなくちゃ行かなくちゃって思うと、これ又
駄目で、これはやっぱり自己完成にも
何にもならない。

 自己完成というのは人類愛から始まる
というのは、つまり私共の世界平和の祈り、
世界人類が平和でありますようにという、
自分(個人)を思うと同時に人類を思う、人類の
中の一人としての自分、人類とつながっている
自分を思う。そのことが即ち、宇宙とつながる、
宇宙の本源の生命、宇宙神の生命、宇宙神から
分かれて来た生命、そことつながる。それが
本来の人間の姿ですね。
               (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(2)

2013-09-24 08:17:03 | スピリチュアル
     (前日から続く)
 ところが、私がいつも言いますように、人間
というものは神様から分かれて来た生命
ですから、そこから考えると、神様が苦しむ
筈がないんで、流れて来た生命が苦しんでる
筈がないんです。そうすると、この世の中で
苦しんでゆくとか、悩んでゆくとかというのは、
じゃあ全く無意味なことを我々が
やってるのかっていうと、そうでもなくって、
この地球世界というものの、こういう粗い
波動を、我々はお掃除をしてですね、
宇宙天使と協力をして、いろんな霊人と
協力をして、皆を掃き清めてゆく。本当の
本来の姿に還(かえ)してゆくっていうのが、
これが元々の人間の一番の役割でありまして、
そこのところをみんな、私が私がとか俺が
俺がとか、どっちが上とかどっちが下とか、
そういう想いの習慣というか、この地上の
生活の中の一つの秩序というもので考えて
しまいますね。会社に行けば上役と部下
とか、病院に行けば院長と職員とか、そう
いう上下関係があるんで、どうしても
その立場でもって皆んな、ものを見てしまう。

 ところが人間の本当の立場というものは、
神様とつながっている。私の朗らかな生命、
さらさらと流れている生命、これが本当の
人間の立場でして、そこから結局は全部が
つながっていく。本当につながっていくべき
ものにつながってゆくということが本来
なんです。ところが、そのあたりがどう
しても皆さんが間違ってしまう。どうしても
習慣に把われてしまう。
              (翌日へ続く)

水のようにさらさらと流れてゆく生命(1)

2013-09-23 08:11:14 | スピリチュアル
 “水のようにさらさらと流れてゆく生命”
と書きましたけれども、生命というものは
元々さらさらと流れているものでして、そして、
さらさら流れてないなと思える時っていうのは、
地上生活の中で、やはり、いろいろな
柵(しがらみ)に苦しめられ把われ悩んでいる
時なんですね。
 そうするとその自分の生命が苦しむように
見えるけれども、本当は、生命そのものは
苦しみも何にもない。本当にさらさらしてて、
何にも汚れもついてないし、本当に真っ白で
きれいなものなんだけれども、ところが
それが悩んで苦しんでっていうのは、これは
自分の想いというものが苦しむんですね。
 自分の本体本心というものはちっとも
苦しまない。で、そこの所が、人間ってのは
肉体というものをまとって生きてる
もんですから、肉体をどうしても自分だと
思うし、気持ちの中から湧いてくるいろんな
想いというものを、どうしても自分の想い
だと思っちゃう・・・
            (翌日へ続く)

続 さやけき生命(9)

2013-09-22 07:28:31 | スピリチュアル
       (前日から続く)
 例えば、守護神なんかが動く時は、肉体経験の
ないものが動いちゃうと、人間側の苦しみ
悩み辛さが、どこまでなのか分かりませんからね。
 そこに守護霊という肉体経験のあるものがいて、
守護神の働きを受けとめて流すという、この
コンビが人間の後ろについていないと、肉体が
即座に消えて無くなってしまう位の迫力ある光を
降ろしてしまう。それだとこの人間世界は
壊れて行ってしまうんですね。ですから、
この人間世界を壊さないようにしながら、
しかも超常識が降りて来て、そして、その
超常識を祈りの中で完成をして行く。
 一人ずつの生活を大事にしながら、超常識に
則(のっと)ってこの世界が変えられていく、
祈りによって変えられて行く。そして、
いつの間にか平和になる。そういうところを
私達の魂はすでに目指しているし、私達の
本心は、そこに向かってすでに歩み始めている。
 そのことを覚えておいて頂けたら、大変
有難いと思います。

 実際に、そういう時期にもう突入をしていて、
私達が自覚をするしないに関わらず、そこに
向かって歩を進めている。天と地が一つになる、
天の私と地の私が一つになる。一つになって
大きな深い働きをする。その時期に皆さん
一人一人がもうすでに突入をしている。
 そうして、その働きの中で生まれて
来るものが、本当の愛と調和と平和に
満たされた、気の流れであり、これをさらに
広げてゆくということなんだという意識を
持っていただけたらいいと思います。
           「さやけき生命」後半 了

続 さやけき生命(8)

2013-09-21 08:39:02 | スピリチュアル
        (前日から続く)
 だから皆さん方はその先兵(せんぺい)である
と同時に、そのことを通して魂が澄まされて行く。
 そして自分自身が朗らかになって、天の心を
私の心とするようになる。
 その天心というものが自分の中にあるんだ
と思って祈っていく時に、あなた方の天命
というものが、一歩ずつ深くなって、一歩ずつ
開いていく。時に応じてそれは本当に大きく深く
なってゆく。最初は一歩一歩でいいんです。

 無茶な目標をかかげすぎると、出来ない自分に
うんざりしたりしますから、限定をしないこと。
 自分に限定の枠を設けてしまうと、そこから
どうにもならなくなる。その枠の中でしか
動けなくなるんです。ところが、神様の枠
というのは無限大ですから、枠というものが
ありませんからね。
               (翌日へ続く)