閑人帖

桜の頃に思うこと

生まれ育った家のすぐ側に小さな溜池があり、その畔に一本の桜の木が立っていた。さほど大きくはなかったが、満開ともなると周りがぱぁーっと明るく華やいだ。家の縁側からも見ることが出来た。人間の目がはっきりと見えるようになるのは生後3~4ヶ月経ってからだそうだ。だとすると、私が初めて目にした花は桜ではないということになる。今日3月27日は71回目の私の誕生日である。それでも私は生まれて初めて見た花は桜であると思っている。母の胸に抱かれて縁側から見たに違いない、母の背に負われて池の畔で見たに違いない、と思うのである。桜の木も池も遠い記憶の中へと行ってしまったけれど、今でもその光景は鮮やかに蘇らせることが出来る。                            今年も桜の季節がやって来た。あと何回春を迎えることが出来るのだろうかなどと考えてしまう年齢になってしまったが、体と頭が今と同じ様な感じで動いてくれればあと10年くらいは生きてみたいと思っている。その日まで、あれやこれやを、そこはかとなく、とりとめもなく、書き記していこうとしよう。

 

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