ひまわりの夢企画

神戸 ひまわりおじさんのブログ

益城町くまモンネットアート支援2019_29

2019年03月31日 | 復興ボランティア
3月31日ー2
益城町からの帰路、昨夜は山口県防府市に泊まりました。
そして今日、気になっていた、昨年の西日本豪雨の被災地、広島県坂町の平成が浜仮設住宅を訪ねました。
たまたま、以前被災した家の土砂を片付けた若者たちが、新しいグループをつくり、炊き出しボランティアに来ていました。
彼らにこそ、ひまわりおじさんの智慧を継承して欲しいと思いましたが、それだけの時間はありませんでした。
記念写真を写してさようならでした。
広島、長野、東京などから集まった若者たちでした。











坂町の仮設住宅を最後に、神戸に戻りました。
8泊9日の益城町くまモンネット支援の旅は終わりました。

明日からは、ひまわりおじさんの神戸ナウに戻ります。

益城町くまモンネットアート支援2019-28

2019年03月31日 | 復興ボランティア
3月31日 日曜日 晴後曇
レスカの木の続き
九大農学部の白石先生が接ぎ木で、レモン、スダチ、カボスの枝を持つ、一本の木に仕上げたものです。
漁業が主産業の玄海島、取れた魚の添え物にもなるし、復興のシンボルツリーにしたいと、知人で福岡の女性建築士の角銅さんの申し出に、答えてくれたものです。
あれから10年。内緒の話ですが実は、ひまわりおじさんも神戸に持ち帰り、人と防災未来センターに寄贈しましたが、枯れてしまいました。

50本ほどのレスカの木が、玄海島に2本。角銅家に1本。復興のシンボルツリーとして、歴史を刻んでくれていました。 感謝です。


益城町ネットアート支援2019_27

2019年03月30日 | 復興ボランティア
3月30日ー3 
玄界島レスカの話
カラタチの木を元木に、レモン、スダチ、カボスの枝を接ぎ木したものがレスカです。
玄界島の復興のシンボルに成ればと、みんなで植えました。50本位植えた覚えがありす。この木が10年経った今、どうなっていりのか、その所在を確認するのが、こんかいの第一の目的でした。
なぜなら、ひまわりおじさんは、レスカの名付け親でした。
結果は、2本無事に育っていました。大収穫でした。
スダチの実をつけたレスカの木です。