goo blog サービス終了のお知らせ 

ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆ 北海道という位相。  

 
   
 友人が、このような新聞の切り抜きを送って来てくれた。
 読んで、まさに、共感! の心地である。

 北海道で生まれ育った私にとって、本州は北関東の文化の中で暮らすことになって、それは、戸惑うほどに、まったく異質の文化との出会いというものであった。
 
 梯久美子氏が指摘しているように、里山の概念もなかったし、教科書に描かれる新一年生の入学式の桜の花も、教科書の中のフィクションと思っていたし、四季の折々に描かれる風景もそうであった。

 ほぼ10年前から、北関東に住むようになって、実に心から思ったことは、「これが、日本だったのか……」という驚きだった。
 私は、生まれて来てこの方、己は日本人だと疑うこともなく生きてきたが、大袈裟ではなく、本当に私は日本の文化を共有して、生きてきたのかと、疑ってしまったほどだった。


 以前に、夫の仕事の都合で住むようになった北ヨーロッパの、生活、気候風土、植生や、ニシンや鮭、ムール貝などの食べ物にも、私の感性は親近を感じ、言語以外、殆ど違和感を覚えることがなかった。
 ドイツのシュバルツバルトの黒い森の針葉樹林を分け入ったとき、それはまるで、懐かしい故郷の風景であり、故郷の光の陰影であった。


 北関東の、養蚕の伝統を踏まえた家屋の形、屋根の瓦、夜は光が一条も漏れない雨戸、、庭の樹木の種類と剪定、街路樹などの植生、城跡に掘り割り、火除け地など、はたまた橋の名称、踏切の名称までが、私の好奇心は、そそらないではいられない。なによりも驚いたのは、秋のキンモクセイの香りと(これは、人工的な芳香剤以外で嗅いだことがなかった)更に、山茶花やツバキの花であった。冬に花が咲いているということだった。

 ウォーキングをしていても、立ち止まってしまうこと、しばしばである。

 
 私もまた、小学生の頃、「雪の女王」の物語に梯久美子氏と、同一の世界の畏怖を感じていた記憶が明らかにあって、、つららなどの氷の破片には、幼心にもとっても注意を払っていたし、梯氏が記述するように、木製の橇にのって、家の近所の坂道を滑っていたものだった。

 ましてや、日本海に面した港町に住んでいたこともあって、ロシアのお話しの方が、やっぱりリアリティがあったものだった。

 ラフカディ・ハーンではないが、日本は、不思議の国である。

 


 

最新の画像もっと見る

最近の「ひとりごと」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事