仕事で知り合って以来、親しくしていた在日朝鮮人で絵本の翻訳をしている方からコンタクトがあり、中野で会うことになった。ハングルから翻訳をしている絵本の日本語について、そのニュアンスが正しいかどうか、一読してもらえるかという用件だった。
私は、快諾した。
その絵本は、当時の日本政府か、日本帝国陸軍か、はたまた斡旋ブローカー、まったく定かにされることがなく今に至っている朝鮮半島から連れてこられた慰安婦を扱った絵本だった。
私は、正直、その絵本の描写に、なんとも言えない悲しみとともに違和感を覚えた。
強制連行された主人公につけられた日本名は、愛子という。
首も手足もない当時の日本帝国軍人の軍服が描かれ、そのズボンのチャックが開かれ、そこから桜の花びら、こぼれ落ちていた。
その絵を見て、いささかショックを覚えた。
グロテスクという言葉が、浮かんだ。
私は原作にある日本名と異なる愛子という名にしたのはなぜか、と問うた。
彼女は、皇太子の娘の名前が、愛子だから、と答えた。
えっ、と思った。
私は、なんだか、それって違うでしょ、と思った。
そして、私は、その翻訳者の方に、この絵本の対象年齢の想定を問うた。
彼女は、小学校高学年と答えた。
私は、暗喩的に描かれる性描写や、性病について、その年齢の児童にとって、はたして正確にその事象を理解できるだろうかと、問うた。
彼女は、日本の小学校5年や6年生の女子なかには援交をしている子もいるのだから、理解できるでしょうと答えた。
私は、かつて日本帝国政府が、確実に為した慰安婦は勿論のこと、労働力としての強制連行について、現日本政府の、言葉巧みに曖昧に、歴史的事実を歪曲し、ごまかしは、決して許されるものではない、と思っている。
だが、だが、慰安婦と援交は、まったく位相がちがうでしょ?
在日朝鮮人である、あなたが、そういうふうに言っていいのか? と思った。
私は、その時の、気分の悪さを、今も忘れ得ない。
これも、これって、なんか、ヘイトスピーチじゃないのかな。
なんか、悲しい、と思った。
その絵本、理由は知らないけれど、出版されなかった。
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