ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆ セルロイドの裁縫箱

           

 とてもレトロ感のある裁縫箱です。
 セルロイド製です。

 これは、私が小学校3年生になったときに、母が買ってくれたもの。
 北海道の日本海に面した小さな町にあった六川商店というお店。
 その時の光景も覚えている。
 幼い頃の、数少ない母との記憶のひとつである。
 50年以上も以上の、はるか昔のことである。

 当時、ミルク飲み人形というものが流行っていて、ボディも手足も、その後一世を風靡するリカちゃん人形のように、固い感じではなかく、やわらな素材だった。
 金髪で、青い目は、人形を横に寝かせると、その目を閉じた。人形の口は小さな哺乳瓶がはまるほどの穴があいており、付属品の哺乳瓶に水を入れて人形の口にいれると、その人形の空洞の体から、女性のその部分に空いた小さな穴から水がもれ流れ出す構造だった。
 この文章を書いていて、気付いたけれど、ある意味、凄い発想の人形だったことに驚く。

 それで、2才年上の姉は、手先が器用だったのか、その人形の洋服を作ったり、寝具を作ったり、またフランス刺繍やスエーデン刺繍に興味を持ち、よくそういう手作業をしていた。

 きっと、私も姉を真似てみたかったのだろうか。
 あるいは、母が、気遣ったのだろうか。
 母が、私に裁縫箱を、買ってくれた。

 しかし、である。
 その後。
 なんと、驚くなかれ!
 そのセルロイドの裁縫箱が、我が家ではいまだ現役なのだ。
 それが、くだんの写真。
 と言っても、1年に1回ぐらいしかお出ましにはならない。
 私は、ペンチやドライバーは手にするが、針や糸には、どうにもならないほど必要に迫られなければ手にしない。

 ボタンつけは、まったくダメで、取れかかったボタンを目にすると、吐き気がしてしまう。
 実際、吐くときもある。
 それは、ボタンがいっぱい入っている缶や箱を目の当たりの見たときだ。
 なぜか異常なほどの拒否症状に襲われる。
 理由は分からない。
 物心がついたときには、すでにそういう状況だったらしい。

 だから、今も、手芸屋さんなどには、絶対に行かない。

 ゆえに、私はボタンがついている衣服は、いっさい着ない。

 そんなこんなで、裁縫箱を取り出すことはめったにない。

 にもかかわらず、である。
 今夜のこと、チョー気に入っている生成り布製のトートバックのほころびを発見。
 そうだ、今は人間の外科手術でも、傷口をホッチキスで留める時代、ここはホッチキスだと、やってみた。
 しかし満足できるラインにならない。
 プロセスを無視して、完成度だけが、気になる性癖なのだ。
 仕方がないか! と思い、ついに、裁縫箱を取り出して、そのほころびを縫うことにした。

 その作業中、ふと、気付いた。
 このレトロな裁縫箱が、いまだ私の手元に、このように原型をとどめて在るのは、私の裁縫嫌いの所為にちがいないと。
 ステキな裁縫箱には、まったく興味がなく、便利で機能性のある裁縫箱が欲しいと思ったこともない。だから母が買ってくれた、セルロイドの裁縫箱が、ずっと私の机の引き出しに在り続け、そのまま50年以上が経った。
 それで、今も、ここに在るんだ。
 
 そして、さらに、今ごろ、気付いた。
 この裁縫箱と、その中に入っている、針刺し、糸や針、これらはすべて、亡き母の、形見、なんだ。

      半世紀以上も時を経た糸。
     私がこの色が嫌いだったために、一度も使われずに裁縫箱に、今も往事のまま、存在し続けている。
     母はきっと女の子はピンクが好きだと思ったのでしょう。 

 

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