ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆ 1970年代初頭のLAの空

 『セカイの空がみえるまち』を読んで、思い出したこと。  


 大昔、私は、ロサンジェルスにいた。
 ラファイエットパークプレイス(Lafayette Park Plece) というエリアに住んでいて、パークというくらいだから、公園が身近な距離にあった。

 毎日が晴天のLAだから、毎日の下校時の通りすがりに公園のベンチで、空を眺めていた。
 公園というものは不思議で、大体、同じ顔ぶれが同じ時刻頃、それぞれの指定席のようになっているベンチに鎮座しているものだ。
 それで、私と同じベンチにいつも座る私と同世代ぐらいのアフロアメリカンの女性と、いつしか言葉を交わすようになった。
 彼女は、トミーズ(Tommy's)というホットドッグ屋さんで働いていると言っていた。

 ある日、いつものように他愛もないお喋りをしていると、ふと、彼女が言った。
 「あなたが日本へ帰っても、私は、文字を書けないので、あなたの住所を知ることも、あなたへの手紙をポストに投函することもできない」と。
 
 まだまだアフロアメリカンは差別されていたし、彼らを巡る教育環境にも厳しいものがあった時代だった。

 1970年代初頭のロサンジェルスのことである。


 
 ヘイトスピーチって、南アでの黒人差別が、日本でもニュースになって、それで知った語彙である。
 ヘイトスピーチという語彙は、なんか抽象的で、私の感覚にピッタシ来ない。

 <差別の標榜> ってことだよね、とイチイチ、心の中で確認してしまう。

 漢字の字面の方が、状況への実感として、ピタッとくるあたり、私って、やっぱり、いい年のおばさんってことなんだよね〜とつくづく思う。


 で、1968年にキング牧師が暗殺されたせいかも知れないけれど、差別の標榜 → ヘイトスピーチ という言葉から、Lafayette Park Plece のベンチで、出会った女性を、なぜか、必ず、思い出す。


 握手するその掌を思い出す。
 くりっとした大きな瞳を思い出す。



 LAの空、セカイの空の端っこぐらいが、みえたかも知れない街だった。



 

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