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ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆『車夫』 いとうみく 著 小峰書店

                

 えいっ! 今週は、いとうみくウィークしよう!!
 
 『車夫』については、ずっと前から書きたいと思いつつ、なかなかペンを持つ気にならなかった。(つまりパソコンのキーボードを叩く気にならなかった。)
 その理由は、簡単だ。
 まぁ、このブログは、書きたいことを、書きたいままに、書いているわけだ。

 しかし、イイ作品に出会うと、ろくでもない文章は書きたくないなと、見栄というか保身が働く。
 それ故に、今まで、魅力的な書籍であるにもかかわらず、手に取っては、本棚へ戻すという繰り返しをしてきた。

 『車夫』というタイトルは、表紙で分かるように、明治時代の『無法松の一生』(ああ、なんて古いことを知っているんだろう。わたいって)のような明治時代の車夫のことではない。
 現代、浅草雷門のところに、いつ行っても必ずいる観光用人力車の車夫のことである。


 表紙の絵が、とても印象深い。
 その表紙を文字で読むように、物語は始まる。
 
    ガードレールに腰掛けて足下をにらんだ。
    この春、買ったばかりのお気に入り。ラインストーンの入った五センチヒールのミュールが、にくたらしいく
   らいかわいく光ってる。
    ミュールから足を抜いて、思わず顔をしかめた。

 それで、少女は、人力車に乗り込み、前を走る人力車を尾行してという。

 少女の気配に、気遣いながらも、前を走る人力車を追尾する。
 その車夫が、この物語の主人公である。

 オムニバスで進行する。
 
 主人公は、吉瀬走という17歳の少年である。
 この少年の父は蒸発し、母親も鍋にいっぱい、シチューを作って消える。
 走は、いまどき、ドラマにもならないベタな展開に、どうしても現実と思えず、数日間、シチューを食べ学校へ通う。
 私は、この描写が好きだ。
 あえてベタな設定にして、主人公にベタと言わせる作家の、これから書き進める物語への覚悟を感じてしまうのだ。

 なによりも、作品と、作家の距離感が、堪らなく良い。
 奇を衒うことなく、どこまでも日常に生きる人たちを表現するというすごさ。
 いらないひと言が、ないのだ。
 小難しい語彙や、ついつい必要でもない修飾語をつかっての小細工もない。
 にもかかわらず、作品に漂う、男たちの清々しい色気。
 こんな真昼の陽の光の中に耀きながらも、通り雨が走り去ったあとの、夾竹桃や万年青の鉢植えが並ぶ路地に、青々と匂い立つような色気である。
 
 
 オムニバスで私の気に入っているのは豆木勝之助という、走の通学していた高校の担任の描写である。
 ドラマなんて、なんにもない。
 一人の教え子の退学について、なにも考えが及ばなかったことに気付くだけだ。
 そのドラマチックでもなんでもない一人の人間を描き切った筆力に、私は、圧倒された。

 それにしても、人の様々な人生が交錯する一瞬を、こんなに、うまく描けている作品は、ちょっとない。
 人が、ちゃんと呼吸して生きていた。
 喋る声さえ、聞こえてきそうなのだ。というか、耳に残る。

 正直、勉強させてもらった。
 お陰で、『車夫』は、角を折ったり、鉛筆で書き込んだり、ポストイットがべたべた貼られたりしており、お気の毒な風体になっている。

 文字が書かれているものは、新聞たりとて、またいではいけないと言った亡父が見たら、ぶん殴られるかも知れない。
 
 
 

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