田山花袋の『蒲団』
佐藤優の『亡命者の古書店』の「あたかもバルコニーの上で」と題された序の文のようなページに、佐藤優が卒業した同志社大学神学部について書かれている文章を読んだ。
佐藤優が、拘った神学だったり神学者の本だったり、その記述を読み、神学部のイメージが変わった。
彼が言う20世紀最大のプロテスタントの神学者カール・バルトの本をよんでみようかという気になったほど。
なんとなく、聖職者養成について実践的なのかなぁと思っていたけれど、すごく根本原理とかキリスト教の根本の哲学的な勉強をするんだということに、驚いた。
とともに、田山花袋の『蒲団』が思い出されて、いやーな気分になった。
田山花袋のまったく如実な私小説だというこの『蒲団』には、花袋が恋い焦がれ好いた女性の恋人が、まさに同志社大学の神学部の学生だと記述されている。
私は、私小説というジャンルは、どうにも苦手だ。
私小説家と言われるグループの中で、もっとも苦手なのが田山花袋である。
次が太宰かな。
文学的意味や価値がどうであれ、好き嫌いはどうしようもない。
<追記>
実作合評会などに参加すると、「これ、実際に本当にあったことなんです」という人がいる。
実際に本当にあったことに、なんぼも意味があるというのか。
それはフィクションを書く上でのヒントにこそなれ、そこからどうフィクションの作品として仕上げていくのかが、書き手の腕というものだろう。