開発で頭角を現した自分はやがて一つの製品を任されるようになる。
それは同時に工場におけるトラブル解決屋として、認識される事でもあった。
公共事業におけるトラブルは工場にとって命取りだ。
解決業務のため、残業時間はやがて100時間を超える事がしばしば起きるようになった。
身体はボロボロだったが、若さと妙な使命感が身体を支えていた。
そして、地獄はさらに加速度を増して行く。
深夜勤務、休日出勤、そして徹夜勤務、、、
会社がしてくれたことは、産業医という名ばかりの医者との無意味な面談と、アリナミンの錠剤を配る事だけだった。
To be continued
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます