黒猫チャペルのつぶやき

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花火と雷

2007年07月30日 | みのりのつぶやき-成長の足跡
 先日は恒例の隅田川花火大会、早めに夕食を済ませ、こざっぱりした浴衣を着せてもらい、打ち上げの始まる時間に合わせて屋上に設けられた観覧席に大勢のマンション居住者の方々と居並んだ。たっぷりのおやつとジュースを用意してもらっていたので、花火よりそちらの方が大いに気になりつつ飛び交うヘリコプターなど眺めていたのだが、耳慣れぬ轟音が響きはじめるや、私はパニックに陥ってしまった。去年もその前も見た花火であるのだが、今年はどうしたものか、続けざまに起こる打ち上げの音が怖くてしかたがない。如何に父殿、母殿に「こわくないよ~」となだめられても全く治まらず、大輪の彩を眺めるどころか、かたく父殿の首にしがみつき「もうかえる~」と長い間なき続けていた。楽しみにしていたおやつにもなかなか手が伸びず、「ほら、おせんべい」と渡されても追いかけてくる轟音に取り落としてしまう有様である。ひとしきり主だった打ち上げが終わり、宴も半ばを過ぎてようやく音に慣れ、恐る恐るあらためて夜空を見上げて繰り広げられる光の乱舞を目に入れ、お菓子とジュースを口に運ぶに至った。

 終わってしまうとさっきまで怖かった気分は嘘のように去り、屋上からの眺めをもの珍しく見やり、涼しい風の渡る夜の屋上をむしろはしゃいで走りまわったのであるが、いやはや、我が身のことながら怖いと思い出すと抑えのきかぬものであると思い知った。

 その翌日である。三ノ輪から都電に乗って、荒川遊園なる地に連れていっていただく。遠くから観覧車を示され、
「みのり、観覧車乗る?」
「やだ。かんらんしゃこわい」
などと口にしていた頃は良かった。お昼ごろに着いたので、早速園内で食事をしたため、豆電車であるとか、電動のレーシングカーであるとか、どれから乗せていただこうかと楽しみにしていたら、空にわかに掻き曇り、沛然たる豪雨に見舞われた。あわてて近くのテントの下に親子3人身を寄せ、さて雨だけなら何のこともないのだが、追ってものすさまじい雷が響きだした。それも生半可なものでなく、誠に空を震わせ、身に響く体の、頭上間近で鳴るかのような立て続けの雷鳴である。音とともに間段なく稲光がきらめく。雨はいよいよバケツをひっくり返したようにあたり一面を川面に変えて降りしきる。こうなるともういけない。昨日の花火にも輪をかけたパニック状態となった私は、この日も父殿にしがみつき、地面に下ろされるのも許さず大声で泣き叫び続けたのであった。

 雷鳴が去り雨が小降りになっても、なかなか興奮冷めやらず、父殿に抱っこされたまま遊園地を去り、都電に揺られて帰るうちそのまま寝入ってしまった。結局乗り物の類には乗れず終いで、この日はただ猿やアライグマの愛くるしい姿を眺めたのみが収穫であった。

 こんなことばかり続いたようだが、普段の私はこのところかなり大人びて、何でも自分でやりたい、たくましい2才児の道を着々と歩んでいるのである。特に心境著しいのはおトイレであり、保育園でも、家でも、便座に乗せていただくと、そこでしっかりとおしっこ、うんち、排泄ができるようになった。いきおい、オムツの中でする回数が減って、こうしてうまくペースさえつかんで行けばオムツを卒業しパンツで過ごせるようになるのも間近であるような気がする。ちなみにトイレに行ったら、水を流し、手を洗い、トイレのふたをしめて出てくるまで全て私は敢然と一人でやってのけるのである。

 音楽を聴くのも昔からの私の楽しみであるが、最近ラジカセの操作を見よう見まねで覚え、父殿母殿の手を借りず自分で鳴らして聞いていたりする。これは危ないからやめろと実のところはさんざん止められているのだが、どうしても自分でやりたくてしかたがないのである。機械の操作というものは何によらず楽しいから、電話、テレビ、扇風機、身の回りにあるものすべからず、監視の目をくぐっては色々いじくってみるのがこのところ無上の喜びである。

 ようやくうっとうしかった梅雨も明けたかと思えるこの頃である。今年も何が待ち受けているかわからぬ夏の日々を、大いに楽しんでやるつもりでいる。雷ばかりは今のところどうしても願い下げであるのだけれど。

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