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11月29日・・・
誕生日が又、来ます・・・・・・55歳・・・!・・・
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色々な、想像は出来るけど、生きていたらなんて、
想像はしません。現実に居ない人だから・・・
尾崎のお兄さんが書いた本(弟尾崎豊の愛と死と)
に載っている文章に妻の繁美さんのことも有りました。
一時、繁美さんは随分、批判を浴びたそうです。
当時を知らなかった私には、わからなかった事ですが・・・?
(以下、お兄さんの文章です)
豊と繁美さんがどのように知り合ったのか僕は知らない。
けれども豊が生涯で最も酷いコンディションにある時に
豊の為に尽くしてくれていたことを、僕はよく知っている。
それは、紛れもない事実だ。
豊の逮捕前に、僕たちは実家で、「(ドラック)をどうしたら
辞めさせられるか」と言うテーマで話をしていた。
同じテーマで何度話したことだろう。ついさっきまで
幻覚症状をみせた豊は、二階で寝ている、正直なところ
僕には目の前に居る小柄な女の子が、この修羅場には
あまりにも、似つかわしくないように思えた。
しかし、ずるいことに、僕は豊と別れなさいと、
アドバイスすることは無かった。もし、豊の兄で無かったら
必ず、「別れなさい」とアドバイスしただろう。
僕は彼女の存在が、豊の立ち直る支えになると
算段していたことを認めねばならない。
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当時、豊は駄目になる寸前だった。
行く手に幸福や栄光なんて、全く見えなかった。
絶望があるのみに思えた。
そういうどん底の状態の時に家族以外で豊を支えようと
踏ん張ったのは、繁美さんただ一人だった。
・・・・・
(結局、尾崎は家族の通報で、逮捕されることになった。)
・・・・・
豊の拘禁中、繁美さんは面会に通った。
豊が「結婚することにした」と僕に話したのは
判決後、何ヶ月かたってからのことだ。
築地の料亭で、両家の家族だけが集まって披露宴をやった。
10人ちょっとの宴席だから、司会もないし、式次第も無い。
僕が豊に水を向けた。「ユタカ、今後の抱負!」
そうしたら、豊は前の方に繁美さんと並んで立って、
「えー、これからは、ここに居る繁美と助け合って
行きますので、えー、皆さんの変わらぬご支援を・・・」
としゃちほこばった挨拶を始めた。
その様子が今思い返してもおかしい。
・・・・
豊は自分に忠実な男で、人がなんと言おうと、
自分の選択を貫く。事実に照らせば、豊は繁美さんと
築いた家庭を守りながら、死んでいったことは、明らかだ。