スンホンと星の見える窓辺で

ソン・スンホンと韓国ドラマが大好きな私のつぶやきの部屋です

また、尾崎の誕生日が来ます

2020-11-26 21:29:00 | 尾崎豊



11月29日・・・
誕生日が又、来ます・・・・・・55歳・・・!・・・


色々な、想像は出来るけど、生きていたらなんて、
想像はしません。現実に居ない人だから・・・

尾崎のお兄さんが書いた本(弟尾崎豊の愛と死と)
に載っている文章に妻の繁美さんのことも有りました。
一時、繁美さんは随分、批判を浴びたそうです。
当時を知らなかった私には、わからなかった事ですが・・・?

(以下、お兄さんの文章です)
豊と繁美さんがどのように知り合ったのか僕は知らない。
けれども豊が生涯で最も酷いコンディションにある時に
豊の為に尽くしてくれていたことを、僕はよく知っている。
それは、紛れもない事実だ。
豊の逮捕前に、僕たちは実家で、「(ドラック)をどうしたら
辞めさせられるか」と言うテーマで話をしていた。
同じテーマで何度話したことだろう。ついさっきまで
幻覚症状をみせた豊は、二階で寝ている、正直なところ
僕には目の前に居る小柄な女の子が、この修羅場には
あまりにも、似つかわしくないように思えた。
しかし、ずるいことに、僕は豊と別れなさいと、
アドバイスすることは無かった。もし、豊の兄で無かったら
必ず、「別れなさい」とアドバイスしただろう。
僕は彼女の存在が、豊の立ち直る支えになると
算段していたことを認めねばならない。


当時、豊は駄目になる寸前だった。
行く手に幸福や栄光なんて、全く見えなかった。
絶望があるのみに思えた。
そういうどん底の状態の時に家族以外で豊を支えようと
踏ん張ったのは、繁美さんただ一人だった。
・・・・・
(結局、尾崎は家族の通報で、逮捕されることになった。)
・・・・・

豊の拘禁中、繁美さんは面会に通った。
豊が「結婚することにした」と僕に話したのは
判決後、何ヶ月かたってからのことだ。
築地の料亭で、両家の家族だけが集まって披露宴をやった。
10人ちょっとの宴席だから、司会もないし、式次第も無い。
僕が豊に水を向けた。「ユタカ、今後の抱負!」
そうしたら、豊は前の方に繁美さんと並んで立って、
「えー、これからは、ここに居る繁美と助け合って
行きますので、えー、皆さんの変わらぬご支援を・・・」
としゃちほこばった挨拶を始めた。
その様子が今思い返してもおかしい。
・・・・
豊は自分に忠実な男で、人がなんと言おうと、
自分の選択を貫く。事実に照らせば、豊は繁美さんと
築いた家庭を守りながら、死んでいったことは、明らかだ。





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