まちかどBOOK研究所

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アイヌ語の成り立ち1

2021-08-18 13:09:49 | アイヌ語
アイヌ語についてこれから扱っていくうえで、まずはアイヌ語とは何か
といったことについて書いてみようと思います。

現在北海道北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録で注目されている北海道ですが、
実はアイヌ語の原型はこの縄文時代にできていたといわれています。
この当時のアイヌ語についてはまだよくわかっていないことの方が多く
現に縄文時代の言語について解読するのは
これ以降もなかなか難しいことが考えられますが、
アイヌ語の原点に迫るといった点でも、
今後の縄文研究の一層の進展が期待されるところです。

また、知里真志保の分類アイヌ語辞典では、時々「古語としてこの語を使っていた」旨の記載があることから、ここでの「古語」がいつくらいの言語なのかや、擦文文化期や続縄文時代など、アイヌ文化以前の言語とのかかわりの有無について私自身は注目しております。

さて、アイヌ文化は文字を持たない文化として知られていますが、アイヌ文化期から使用されていたアイヌ語を初めて文字化したのは知里幸恵氏のアイヌ神謡集が有名です。

しかしながら、実はそれ以前にも和人による記録のなかにはアイヌ語が多く記録されています。
最古のアイヌ語辞書とされるものは、江戸時代後期にアイヌ語・ロシア語通訳として活躍していた上原熊次郎有次という人が書いた「藻汐草」になります。

このような古い時期からもうすでに和人側の視点からではあるが文字によるアイヌ語の記録が始まっていたことには驚きがあります。下にURLのリンクをつけておりますので、気になった方はそちらのリンクからwebページの方をご参照していただけると幸いです。

その後、寛政期(1789~1801)に入ると「蝦夷島巡行記」が書かれ、ほぼ同じ時期から加賀家による文書にもアイヌ語が登場してきます。そして、享和期(1801~1804)には「蝦夷地周廻紀行」、1800年代後半、大体1850年くらいから幕末の蝦夷地探検家松浦武四郎の紀行文等によるアイヌ語の記載がみられるようになります。
また、加賀家の記録は広く明治初期にまで及んでおります。

そのあたりについては、詳しくは次回またお話していきたいと思います。



藻汐草 上原熊次郎 アイヌ語・ロシア語通詞 最古のアイヌ語辞典編集者(1792年:
寛政4年 ラクスマン来航の年)
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ho02/ho02_05038/index.html


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