まちかどBOOK研究所

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アイヌ語の成り立ち 2

2021-08-30 15:09:53 | アイヌ語
お時間が空いてしまい申し訳ございません。

前回はアイヌ語の原型と最古のアイヌ語辞書について書きました。
今回は、江戸時代の和人側によるアイヌ語の記載があるものを中心に書いていこうと思います。

 さて、文書中にアイヌ語が登場するものの一つに「蝦夷島巡行記」があります。
これは、1798年(寛政10)に江戸幕府が蝦夷地(現在の北海道)に派遣した江戸幕府の使節団のうち、西蝦夷地(現在の千歳市と恵庭市を除いた石狩管内と小樽市の一部、空知管内、上川管内の大部分、留萌管内、宗谷管内、オホーツク管内)の調査団に随行し、ほかに石狩川や苫小牧周辺などを巡見した公暇斎蔵(こうかさいぞう)氏によって寛政11年(1799)に取りまとめられたものです。

ここでは、主にアイヌ語地名や川の名前等についてまとめられており、主に石狩地方や宗谷地方、留萌地方などの川・山の名前等記載がありました。

アイヌ語地名では、
現在の札幌圏に関係するものとしては
イベツトウ(イベチトウと書いてあるものもあり)・トイシカリ(現在の江別市)、
フシコベツ(現在の札幌市)、
クタレウシ・シクツシ(現在の小樽市)
それ以外ではルルモッペ(現在の留萌市)
バッカイベツ(バツカイ、バツカイベイニ)(現在の稚内市)、
ヲシャマントモナイ、トベナイ、ウエンヘツ(現在の遠別町)、
テブレ・アンケシリ(現在の天売・焼尻島)、
シュシャンベツ(現在の初山別村)
ツクベシ(現在の羽幌町)
などがあります。

また、「かっぱ伝説」にまつわる部分をご紹介しますと、
文書中に書かれている語「ミリチ」は、かっぱの意味を表すアイヌ語と言われていますが、宗谷では主に蜆(しじみ)の意味として使用されております。

天塩では「ミリチ」は、かっぱの意味として使われていなかったようですが、道内各地の伝承にはあったようです。

上原熊次郎(詳細はアイヌ語の成り立ち1を参照)氏や田村すゞ子氏のものでは「ミントゥチ」をかっぱの意味として用いるとされています。
(ちなみにかっぱといえば札幌市内では定山渓温泉、札幌圏では小樽が有名です。)


話は地名に戻りますが、
現在の稚内市抜海である「バッカイベツ」の由来は、波が荒く、石や木が多いといったその地の特徴をあらわし、子供を歩かせるのも大変な場所であったことに由来しています。

また、アイヌ語の植物名であり、地名と関わるものとしては、留萌管内の現在の留萌市と増毛町の間にあった「タンテウシナイ」があります。
蓼の由来についてアイヌ語のタンテから来ていると説明されていたり、多くあるという意味をウシと言ったりするといった説明がされています。

また、現在の積丹町のアイヌ語については、「シャコタン」はもとは「シャココタン」と言っており、シャコはサㇰで夏、コタンは村といった意味であることが紹介されています。


アイヌ民族の男性の仕事関係のアイヌ語の紹介もあります。
ここでは、一例としてアイヌの男性が行っていた古式舞踊をアイヌ語で「スツウチ」といい、小さいころから練習していたものであるといった説明があります。

また、アイヌ民族が日常身に着けていた民具に関する説明もあり、例えば、アイヌ語で小刀のことを「マキリ」ということや、たばこのことは「セレンボ」といったりしたといったことが説明されています。魚の名前についての説明もありました。

以上が巡行記に書かれているアイヌ語の大まかな内容となります。

次回はもうひとつのアイヌ語について記載された近世期のもう一つの文書である蝦夷地周廻紀行について説明をしていこうと思います。











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