尽くすばかりが愛情ではありません。
優しくするだけではダメですよ。
技術を磨くことによって、才能が開花します。
愛情とは等価交換であるべきである。
というルーンが出ましたね。
与えすぎてもいけないし、もらいすぎてもいけない。
等価であるから長続きするのです。
世の中には、無償の愛を相手に求める人がいます。
こういう人は、実は吸血鬼、ヴァンパイアです。
相手の生命の源を吸って、吸い尽くして、次の獲物を狙うのですから、たちが悪いです。
そして、ヴァンパイアにつかまってしまった人の多くが、
自分なら相手を救える。
自分にしか相手を理解してあげられる人がいない。
などと思ってしまっているのです。
ヴァンパイアたちは、どんなに尽くされても、尽くしてくれた相手に感謝しません。
彼らの「ありがとう」は「いただきます」と「ごちそうさま」です。
まあこれも感謝の一部ですが、食事をするのと同じことなんです。
相手の誠意と誠実を、自分の生命の糧としているのです。
何かがおかしいぞ。と感じたら、速やかに離れましょう。
すべてを吸われて、再起不能になる前に。
優しいばかりが愛情とも限りませんね。
手助けばかりしていては、相手が気づかなければならないことを見落としてしまいます。
私の母親は、弟を溺愛していました。
そりゃもうものすごかったです。
夏休みの宿題は全部私が代わりに片付けるもの。と決まっていました。
日々の宿題も、私が代わりに片付けるものです。
私は自分の宿題プラス弟の宿題も片付けていたわけです。
将来絶対困るだろうと思っていましたが、私は意地悪なので、黙って母親の言いつけ通りに宿題をずっと片付けてあげていました。
義務教育期間中、ずっと。
でも、高校受験は変わりに受けてあげられませんね(笑)
人間関係に関しても、弟の意見を通さない相手は友人ではない。なんて考えの人でしたから、さあ大変。
現在、会社を転々としつつ、最後に就職した先で、精神鑑定を受けろなんて言われちゃって。
コミュニケーションのできなさ加減が、尋常じゃない。と判断されてしまったのです。
本当に子供のことを考えるなら、宿題は自分の手でやらせなければいけなかったのです。
同級生と衝突しても、それは相手が120%悪いなんて教えずに、
あなたにも悪いところがあったのではないのかと考えさせなければいけなかったのです。
こうした経験から、私は子供に、自分の言ったことは自分で守る。を徹底させてます。
最近、生意気さかりで、もう出てってよ!なんて言ってきたものですから、本当に出て行っちゃったりして。
ドアをバタンって締めたら、玄関先で大泣きしてましたから、すぐドアを開けて、
人にそう言うことを言ってはいけない。と。
厳しくしすぎるのもどうかな。と思います。
母親は私にはかなりのスパルタでした。
家から閉め出されたことも、バットや竹刀や竹定規、布団叩きに辞書に少年ジャンプとあらゆるもので殴られたこともあります。
これが愛情だとは私は思いません。だから私は子供は叩かない。
ましてや、自分尾手が痛いからとものを使って殴るようなことはしません。
これも、本当に愛情とは何かを考える、いい経験になりました。
その母も、もうすっかり年を取り、自力で自分のことをすることが難しくなり、
あれほど溺愛していた弟はそれを知って家を出て、私が同居している。と言う状態です。
恨んでも憎んでもいません。その必要がないから。
今はお互いに言いたいことを言って生活してます。
前は怒られるとか傷つけるとか考えてましたけど、今は母親に対して遠慮なしです(笑)
スッキリしたもんです。
さて今日は、「愛情とは、等価交換である。相手に無償の愛を求めるのは、依存であり無分別であり、不誠実であるのだから、
多少厳しくても、相手を本当に思うのならば突き放す強さも必要である」を心がけてみましょう。
それでは、よい一日を!