今日は朝から雨模様でちょっと寒い。
それでも気温は17度ぐらいまで上がるらしいけど、陽が出ていないので空気はひんやりしています。
そんな天気のせいか、誰もいない家の中が妙に静かで、なんかちょっとおセンチにな気分に・・・
明後日は父の命日。2002年の11月30日でした。
もう20年以上経つんだなぁ、全然そんな気がしない。
あの頃の11月は今よりもっと寒くて、私はその時に初めてダウンジャケットと言うものを買いました。
父の入院していた病院は品川区にあったんだけど(ちなみに私の実家もだけど)、東京って結構海風が吹いてきてて寒いんです。
離れてみて初めて、東京って割といつも風が吹いている街だなぁって気が付いた。
駅から病院まで歩くのに寒くて。それで買ったダウンジャケット、それから10年以上使ったけど、父の最期を一緒に見届けたジャケットだったから処分するのに後ろ髪を引かれたものでした。
父の最期の様子は今でもはっきり憶えています。本当に、昨日のことのように。
記憶って時とともに薄れていくものだけど、これだけは全然薄れていかないのが不思議なくらいです。
当時、家族で東京にお見舞いに行くときは車で高速をぶっ飛ばして行ってました。
車内でスピッツのCDを良くかけていて。その年の9月に出たばかりの「三日月ロック」。
1曲目の「夜を駆ける」っていう歌が、なにかから解放されて自由に飛び回るイメージの歌で、父がこの世のしがらみから解放されて自由に飛び立っていこうとしているイメージに脳内変換されて聴こえたものでした。
今でもこの曲は私にとってはその時のイメージのままだし、娘も「これを聴くとおじいちゃんを思い出してちょっと悲しくなる」と言います。
もう一つ忘れられないのが、母と食べたラーメン。
21年前の丁度今頃です。
父がもう今日か明日か、という状態でずっとつきっきりだったのだけど、まだもう少し大丈夫そうだから一度家に帰ってちゃんと寝よう、と言うことになって、夜遅くに病院を出ました。
駅の手前にラーメン屋さんがあって、そこを通るときに母と二人で「・・・・お腹、空いたね・・・」と足が止まり、ふらふらと入って食べた熱いラーメンの美味しかった事といったら。
お父さんがあんな状態なのにラーメンが美味しいアタシって・・・と思いながらも、あんなに美味しかったラーメンは後にも先にもありません。
最期の日は弟もいて、家族みんなで見送れたので、後々の母の最期を思えば、まああれで良かったんだなと思えます。
母は誰にも気づかれずに逝ったので・・・まあそれはそれで母らしいんですけど。
父繋がりで母の事を想うことも多い今日この頃だけど、母のことはまたそのうち・・・。
今日は久しぶりにスピッツ、聴こうかな。
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