ある日の気づき

西欧キリスト教世界の悪業と資本主義の宣伝(プロパガンダ)

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1. 論理的に「近代資本主義の起源」を考える
1.1 「近代資本主義」を、どう定義すべきか
1.2 「「近代資本主義」の起源」の常識的論理による説明
2. 戦争との関連で「近代資本主義の起源」を考える
更新履歴と同カテゴリーの記事←別記事に分離

はじめに^

下記の本の内容について考察すると、本記事表題のようなフレーズが口を衝いて出てしまう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 ←(A)

∵この本は、どう考えても、最低の部類に属するプロパガンダ。特権的富裕層である資本家に
都合のよい言説でさえあれば、現実からどれだけ乖離していようとも、それなりの「評価」を
得ることが可能であることを示す古典的な例だ。一例として、下記 (B) での「評価」を見る。
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-weber-geist/ ←(B)
ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を解読する
「『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のテーマは、近代資本主義の起源だ。
なぜ中国や日本ではなく、また古代メソポタミアやギリシアではなく、ヨーロッパ近代に
おいて資本主義が成立するに至ったのか。またその条件は何か。これが本書のメインテーマだ」

とあるが、「メインテーマ」が「ディスインフォーメションの対象」という意味であってもよい
ならば、そういう言い方も可能であろう。「近代資本主義の起源を解き明かそうとしている」
とは考えられない。

「本書は、経済が宗教を規定するというマルクスの「上部-下部構造」論に対する反論としての
意義をもっていた。」
# 正しくは、「マルクスの「上部-下部構造」論に対する反論」という体裁で資本主義の成立に
# 「資本の原始的蓄積」という相当部分が残酷さに満ちた過程があった事実を糊塗ないし隠蔽
# するプロパガンダという意味しかない」と言うべきだ。
率直に言って、「知的誠実」というものが全く感じられない出鱈目のオンパレードで、とても
付き合いきれない。「何がどうおかしいか」いくつか指摘した後は「近代資本主義の起源」に
ついて「普通に考えるとどうなるか」を述べる。本の内容は前記 (A), (B) から孫引きする。
# ネットにある同書の無料和訳も示しておく: 第1章第2章第3章第4章第5章

まず (A) から。
「第1章 問題の提起
...
2 資本主義の「精神」
...
「資本主義の「精神」は、典型的にはベンジャミン・フランクリンに見られる。時間を無駄にせず
勤勉で、正直・誠実であれということである。 」
# なぜ、ベンジャミン・フランクリンが「「資本主義の「精神」」の体現者」なのか、さっぱり
# 分からない。そもそも「資本主義」とは何かを先に定義し、その後「資本主義の「精神」」を
# どのような考え方で規定するのか説明すべきだ。上のような記述は、「不適切な名前」を使う
# 「ご飯論法」と同類の議論と考えざるを得ない。
# つまり、*「資本主義の精神」が「何らかの「倫理」から派生した何か」であるかのような
# 印象*を読者に与えることが意図されている。悪質な印象操作と呼ぶほかはない。
# https://alzhacker.com/russophobia-2/#i-15
# 「プロパガンダの専門家は、プロパガンダをより効率的にするために、その概念を
# 意図的に曖昧にする。」
# (1) 「(近代)資本主義」自体の定義は(恐らく意図的に)曖昧にされている。
# (2) 「資本主義の精神」も明示的な定義は(恐らく意図的に)避けて、恣意的に(「代表性」が
# あるとは認められない)例/エピソードを提示して「漠然とした印象」を与えるだけにして、
# 議論を始めている。
# https://alzhacker.com/russophobia-2/#i-6
# 「心理学に由来する「暗示」の概念は、合理的な考察なしに無批判に命題を受け入れるように
# ターゲットオーディエンスを説得することを伴う。暗示の効果は、人々の間にすでに存在する
# 態度の喚起に依存する (Doob & Robinson, 1935: 91)。」
# - 合理的根拠を示さずにフランクリンという「(西欧では)有徳の人物として知られる」に
# 「資本主義の精神」を対応させたこと自体が、「論点先取」の虚偽であり「プロパガンダ」。
# (大航海時代にアメリカ大陸から始まった「西欧が全世界の他の部分に対して行った暴虐」、
# および「剥き出しの資本主義における悲惨な社会的現実」を無視して「勤勉さ」のような
# 「美徳」とのみ「資本主義の精神」と対応させることは、「資本家階層の意図的な美化」、
# 「貧困問題の政策課題からの排除」さらには「植民地支配の正当化」をも含意する)。
# - 特定のフッガー家の人物一人の逸話をフランクリンと対比させても、「近代資本主義での
# 利潤追求/資本蓄積」が「中世までの資本蓄積とは無縁/別物」であると論証したことに
# *なるはずがない*が、定義や前提の曖昧さの問題から目を逸らさせる効果はある。
# (3) まず「資本主義」の意味を明示し、その上で「資本主義の精神」が何かも明示してから、
# 他の概念(例えば「プロテスタンティズムの倫理」)との関係を述べるのが、*論理*。
# そうしていない以上、「プロパガンダ」で使われる類の「レトリック」/「詭弁」という
# 疑いを持たざるを得ない。
# https://alzhacker.com/russophobia-2/#i-11
# 「プロパガンダ的な言葉は、抽象的な言葉で現実と意味を隠蔽する。」
# 例を挙げよう。
# - 「インド、中国、日本等で「(近代)資本主義」が成立しなかった」という命題 (p) と
# 「インド、中国、日本等に「*ヴェーバーの言う*(近代)資本主義の精神」の源がない」
# という命題 (q) の間に何か論理的な関係があるためには、(p) の「資本主義」と (q) の
# 「資本主義の精神」の間に「「資本主義 in (p)」の精神」=「資本主義の精神 in (q)」が
# 成立することは「必要条件(の一つ)」だが、ヴェーバーは↑この条件を示していない。
# - ∴論理的関連がない(そもそも事実に反する場合すらある)歴史関連でのヴェーバーの
# 長広舌は、「資本主義」ないし「資本主義の精神」の起源についての論証に寄与しない
# 「西欧ショービニズム」の露呈に過ぎないが、レトリックとしては機能したフシもある。
# (4) ヴェーバーは、「新自由主義」の草分け的存在。
# - ヴェーバーと「(新)歴史学派」の経済学者シュモラーとの間で「価値判断論争」なる
# 長期間の論争 1904-1913 があり、ヴェーバーは「貧困問題の政策課題からの排除」を
# 擁護する政治的含意を持つ立場の論陣を張った。「プロテスタンティズムの倫理...」の
# 発表時期は論争の開始時期と一致する。同書と論争が同じ方向性の政治的プロパガンダ
# という側面を持つことは偶然ではなく、現代的に言えば、ヴェーバーの「新自由主義の
# 立場からの政治評論家活動」デビュー。「価値判断論争」の政治的含意は、下記参照。
# https://shoyo3.hatenablog.com/entry/2016/08/24/221939
# - 後述するヴェーバーの論理構成+事実確認のデタラメぶりから、
「価値判断論争」での
# ヴェーバーの主張は結局 100%「政治的プロパガンダ」だったとしか思えない。
# 何しろ↑「ブルジョアジーの一員」と宣言するような人物(←リンク先 p.11 ↓参照)。
# 「われわれにとっては,諸個人だけが,意味ある方向を含む行為の理解可能な主体」と
# サッチャーの「社会なんて存在しない」発言を先取りするような事も言っている。
# - シュモラーは、やはり「新自由主義」の源流の一人カール・メンガーに「方法論争」を
# ふっかけられた事もある。この論争でも、シュモラーの主張に道理があり、メンガーの
# 主張は「新自由主義」の「イデオロギーを科学だと言い張る言説」の原型に過ぎない。
# https://kotobank.jp/word/方法論争-132444
# 「メンガーは理論的な考察の必要性を強調したが,シュモラーは今日の時点ではその
# ような法則は望みえないとし,さしあたり経験的な事実の収集に努めるべきだとした。」
# ↑シュモラーの主張が*今なお正しい*件は、以下の「経済」カテゴリーの記事参照。
# + 経済学とは何か、何であるべきか
# + 読書ノート:「なぜ経済予測は間違えるのか? 科学で問い直す経済学」シリーズ記事
# - (1)-(3) で述べた「論理構造の欠陥」に依拠して「ヴェーバーが「資本主義」の起源を
# 解明しようとしたというのは「誤解」であるから、「プロテスタンティズム、なかんずく
# 「カルヴァン主義の教理」が「資本主義の起源」とは考えられない」という趣旨の批判
# (例えば、本記事)は当らない」とする、曲芸じみたヴェーバー弁護論も存在する。:-)
# - そういう向きには、以上 (1)-(3) の論旨を踏まえて、ヴェーバーの言う「資本主義」
# とは何か、まず答えて頂きたいものだ。ちなみに、ヴェーバー自身も、同時代の批判に
# 対して同様な論法を用いたことがあるそうだが、ヴェーバーによる「資本主義」の定義は
# 現在に至るまで不明なままなので、ヴェーバー弁護論者に代って答えて頂くほかはない。
# 定義できたら、それが「剥き出しの資本主義」の実態を表しているか、よく確認して頂きたい。
# - 某国の政治家は失言に際して「誤解されやすい部分があったことをお詫びする」との
# 定型句を多用する :-) が、発言内容を確認すると、実は「正確に理解」されたからこそ
# 問題になっているのが通例。ヴェーバの主張も政治的プロパガンダであることを踏まえ、
# 「これらの政治屋どもの大先達」という称号が、ヴェーバーに相応しいと思われる。

(B) でのベンジャミン・フランクリンへの言及箇所↓を見ても、印象は変わらない。
「時間は貨幣であることを忘れてはならない。一日で10シリング稼げるのに、遊んだり怠けたり
して半日過ごすような人は、実際には6ペンスしか娯楽に使っていないとしても、最低5シリング
はドブに捨てているに等しいのだ」。このようにフランクリンは私たちに説く。
...
私は本書で「資本主義の精神」という概念を、フランクリン的な意味合いで使うことにしようと
思う。確かに資本主義は中国やインド、バビロンにも、また古代にも中世にも存在していた。
しかしそのいずれにもフランクリン的な「精神」は存在しなかった。」
# よくもまあ、こんな大それた断定ができるものだ。ダニング=クルーガー効果なのか?まあ、
# 「フランクリン的な「精神」」の定義を曖昧にしておけば、何だって言えるということかも。
「この精神が、それら資本主義と、近代ヨーロッパ的資本主義を分けるひとつの本質的な要素
なのだ。 」
# 「時は金なり」は「金」に言及するから 「「資本主義」の精神」で「一寸の光陰、軽んず
# べからず」は、そうでないと言うわけか(嗤)。単に「時間の貴重さ」の表現が違うだけに
# 過ぎないではないか。まったく、*バカも休み休み言え*以外に評する言葉がない。
# そもそも、「近代資本主義の起源」を調べるなら、「近代資本主義が最初に成立した場所」
# において、「資本主義に関連する典型的な出来事に関わった、典型的な初期の資本家」に
# 取材すべきだろう。つまり、西ヨーロッパ、中でも特にイギリスの出来事に注目すべきだ。
# 後発資本主義国の、資本家としてではなく科学者や政治家として著名な人物を「資本主義の
# 「精神」の体現者」だとして、*何の説明もなく*持ち出す時点で、ヴェーバーの議論全体が
# 胡散臭い。∵「資本主義の「精神」」の定義らしきものがフランクリンの引用しかない事に
# 注意すべき。フランクリンは「成立済かつ順調な時期の資本主義社会の成功者」に過ぎず、
# 資本主義の成立条件を探る際の基本概念定義のために持ち出す事例として明らかに不適切。

再び (A) から。

「予定説における決定論は、仏教における因果論とは正反対の論理である。因果論においては、
「善行を働けば(因)救われる(果)」のであるから、人間の神や仏に対する働きかけ(たと
えば、寺院への布施や教会への寄付は、救済を金で買う行為であると言える)によって、救済が
可能である。」
# よくもまあ、仏教について知りもしないで、いい加減なことを書くものだ。寺院への布施は、
# 仏に対する働きかけではない。仏教での究極の目標は「救われること」ではなく「悟り」を
# 得て「「善因善果、悪因悪果」である世界から離れること」だ。それは、浄土宗/浄土真宗に
# おいてすらも変わらない。「浄土」とは「悟りを得やすい環境」に過ぎないからだ。どうやら
# 仏という概念自体を理解していないとしか、解釈しようがない。
「しかし、最初から利潤の追求を目的とするのではなく、行動的禁欲をもって天職に勤勉に励み、
その「結果として」利潤を得るのであれば、その利潤は、安くて良質な商品やサービスを人々に
提供したという「隣人愛」の実践の結果であり、その労働が神の御心に適っている証であり、
救済を確信させる証である。このようにして、皮肉なことに、最も金儲けに否定的な禁欲的な
宗教が、金儲けを積極的に肯定する論理と近代資本主義を生み出したのである。 」
# あまりの白々しさ、バカバカしさ、非論理性に呆れるほかはない。「職業倫理」が、中世の
# 職人や商人には存在しなかったとでも言いたいのだろうか??「五十にして天命を知る」と
# いう言葉も、ひょっとすると知らないのかも???
# 「商人の職業倫理」は石田梅岩の心学でも説かれたし、石田梅岩は宋学から発想を得た。
# ルヨ・ブレンターノという経済学者は、こうしたヴェーバーの主張を的確に批判した。
「ヴェーバーによれば、フランクリン的な「精神」において中心的な役割を果たしていたのが
「天職」(Beruf, calling)の観念だ。
# ヴェーバーの言説に根本的な論理構造上の問題がある事の指摘に重点を置く本稿にとっては
# 枝葉の話になるが、上記の有名な一節について、ヴェーバーはデタラメな引用で根拠のない
# 主張をしたと判明済み。*ルター訳ドイツ語聖書に Beruf という語は使われていない!*
# ∴Beruf の語義を根拠としている議論は全て無効なのだ。問題初出は下記論文だとされる。
# 「沢崎堅造著、「ルーテルの『職業』について」、『経済論叢』45巻5号、1937年11月」
# (「沢崎堅造著、『キリスト教経済思想史研究』未来社、1965年、p.49」所収とのこと)。
# しかし、この問題が広く知られたのは、羽入辰郎著「マックス・ヴェーバーの犯罪」における
# 再発見および「他にも多くの引用箇所に問題があり、マックス・ヴェーバーはルター原典を
# 参照しておらず、執筆時期の英語辞書でのルターの引用を孫引きしたとしか考えられない」
# 旨の論証の公表が契機。概念の成立時期が想定と違っている以上、辻褄の合わせようがない。
# 「マックス・ヴェーバーを「評価」する向き」からの非論理的「反論」や執拗な人格攻撃が
# 腹に据え兼ねたか、羽入は続編「『マックス・ヴェーバーの犯罪』その後」を発表。さらに、
# 英語圏とドイツ圏の学会誌に論文として投稿し、それらの論文は査読を通った。
『...ベンジャミン・フランクリンの例に見たような、正当な利潤を》Beruf《「天職」として
組繊的かつ合理的に追求するという心情を、われわれがここで暫定的に「(近代)資本主義の
精神」と名づけるのは、近代資本主義的企業がこの心情のもっとも適合的な形態として現われ、
また逆にこの心情が資本主義的企業のもっとも適合的な精神的推進力となったという歴史的
理由によるものだ。』」
# という主張の根拠は、結局どこにも説明がない。いやはや、途方もないプロパガンダである。
基本的な用語の定義、推論過程、引用事実の全てがおかしいので、結論が正しいはずがない。
にも関わらず、「評価」されているのが不思議だったが、剥き出しの資本主義/新自由主義を
推進するプロパガンダと考えれば「ありがちな現象」に過ぎないと、気がついた次第である。
マルクスを含む社会主義者たちが見た「「剥き出しの資本主義」の害悪(児童も含む超長時間
労働とか)」を無視して「倫理」を云々できる無神経ぶりは、それにしても凄過ぎる。

例えば下記 Web ページで見るように、異議を唱えている人は、一定数いるようだ。
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2006/protestant-ethic-capitalism-environmental-history/
「なぜ近代資本主義はヨーロッパから始まったのか
2006年10月25日  2021年7月18日
なぜ近代資本主義は、世界の他の地域ではなくて、ヨーロッパから始まったのか。
マックス・ヴェーバーは、プロテスタンティズムの倫理、遡っては、古代ユダヤ教のエートスに
その原因を求めた。ヴェーバーは権威のある社会学者で、この説は、社会学界では定説のように
なっているが、私は、これとは全く異なる仮説からヴェーバーが立てた問いに答えたい。...
... プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神を生み出したのは、寒冷化である。寒冷化
により、低エントロピー資源が減ると、禁欲的に将来に向けて貯蓄に励まなければならなく
なり、また、生産性を高めるために合理的な手段が求められるようになる。
そして、ヨーロッパで最初に近代資本主義が発達したのは、ヨーロッパでいち早く、そして最も
顕著に寒冷化が起きたからだった。」

とは言え、上記は「ヴェーバーの奇妙な前提や中間的な命題を基本的には認めた上での反論」
なので、本ブログ筆者の立場からは、少々まどるっこいし、あまり納得のいくものでもない。
# 羽入の著書で使われた「ヴェーバーが引用した文献と引用方法の精査」と同じ手法による
# 解析を*さらに先に*進めたと解釈できる、別の著者(シュタイナート)の本が下記。
# 「マックス・ヴェーバーに構造的欠陥はあるのか」
# 和訳表題は、副題の「論破しがたいテーゼ」と合せると、一見「ヴェーバー説肯定論」の
# ような印象を与える(副題がなければ、一応「中立的立場」のような印象になるだろう)。
# しかし、(中を読めばもちろんだが)Max Webers Unwiderlegbare Fehlkonstruktionen
# という原題(直訳的には「マックス・ヴェーバーの否定しようのない欠陥構成」あたり)を
# 見るだけでも分かるように、実際は「ヴェーバー説の徹底的な批判」が主題である。
# 羽入の著書も引用しているが、シュタイナートが扱った題材や批判の観点は極めて多岐に
# 渡っている上、個々の論点での掘り下げの深さも印象的。e.g.
# - 羽入も言及した「フランクリンの人物像歪曲問題」を、深く掘り下げて精密に解析した。
# - フランクリンとの対比のため引用されるヤーコブ・フッガーの発言について、「出典での
# 前後の文脈と切り離した結果、全く違う意味に歪曲している」ことを明らかにした。
# - ブレンターノ以外の「歴史学派」(シュモラーとゾンバルト)も含めて研究/著書内容を
# 「歴史学派」内で対比し、ヴェーバーの主張が最も説得力に欠ける事を示した。
# - ヴェーバーの「理念型」は、カール・メンガーの主張における「精密な理論/法則」に
# 対応する(∵メンガーの主張での「現実型」という概念の「反対概念」である点に注意)。
# 「カール・メンガー」と言えば「限界革命」→「新古典派」≈「新自由主義」の草分け。
# i.e. 経済学を現実との接点が皆無の「オモチャ (toy model)」の研究にした人物。
# ∴メンガーの主張を「真に受けた」ヴェーバーの説は、現実の経済とは無縁と推定される。
# 以上のように、論理的観点からは、ヴェーバー説論破は比較的容易ですらある。ところが、
# 羽入の著書への反発と同様、ウェーバー説が批判されると、どこからともなく「擁護者」が
# 現れて(論理的整合性とは関係なく)「論争」が続いてきた事は、前掲書本文にある。
# ∴「論争継続中という構図さえあれば、擁護者の主張内容がどうあれ、「論破」されて
# いない」という立場を仮定しない限り、和訳の副題は、解釈の付けようがなさそうだ。
# さて、羽入はヴェーバーの「精神分析」が必要という結論に達した?ためか「ヴェーバーが
# 母親から受けた抑圧」について論じた著書を出版している。
# 一方、シュタイナートは前掲書最終節で、同時代の心理学者ジークムント・フロイトに仮託
# して、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を「ファンタジー」と断定し、
# 「(論理的分析ではなく)無意識の抑圧に対する精神分析対象とすべき事」を、より直接的、
# ないし明示的に示唆している。あるいは「擁護者たちの精神分析」まで考えていたのかも?
# シュタイナートは既に(原著出版の翌年)亡くなっているので知るすべはないが、筆者は、
# シュタイナートが「論理的観点からのヴェーバー論破」は原著で完了したと考えていたとの
# 印象を受けた。

なお、下記にも、ヴェーバーの言説に関連する Web 記事のサーベイがある。
https://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11930018940.html
「Thu, September 25, 2014
近代資本主義の精神と賤民資本主義:
ヴェーバーの言う「天職」とは、シャーマニズムの「召命」と似る?
....」

さて、マルクスの言う「唯物史観」の定式「下部構造が上部構造を規定する」を前提にすると
「そもそも、上部構造が下部構造を決定することはありえない」で話が終ってしまい、議論を
展開することができない。一方、ヴェーバーのように、思想史以外の側面を全く検討しない上、
検討方法が恣意的(というかデタラメ)では、「話にならない」事は前述した。言って見れば、
ヴェーバーの言説はレトリックに過ぎない。
次節では(あくまでも日常言語レベルで)*論理的*に「近代資本主義の起源」を議論する。
論理とレトリックの違いについては、ロシアの論理と西側「嘘の帝国」のレトリックの記事で
議論した。

1. 論理的に「近代資本主義の起源」を考える^

次の観点を考慮して議論を進める。
- 「近代資本主義」の語義、含意を明確にしておく。
- マルクスの論点を無視しない。少なくとも「物質的」(具体的には、「科学技術的」観点や
 「経済的観点」での)条件を無視した「近代資本主義」に関する議論は、無意味である。
 + 思想史だけではなく、ヨーロッパ近代との関連を中心にした世界史全般にも目配りする。
- 「宗教」関連以外の思想史、例えば哲学史にも留意する。*比較的少数の人間の考えが社会
  全体に影響することもある*ので、宗教のように「大多数の人間の信念に影響があった思想」
  だけ考察したのでは、重要な事実の取りこぼしが生ずる。
- ヨーロッパの歴史地理的条件にも留意する。 歴史地理(学)の観点を最初から無視しては、
 「なぜ(西)ヨーロッパから/イギリスからだったか」という*歴史地理的な問題*を正しく
  考察できるはずがない。
 + 「地政学」での「地理的条件」の考慮は、時に「国際関係上のパワーポリティックスからの
  観点」に偏り過ぎるきらいがあるので、もう少し広い意味の「地理的条件」に歴史的視点を
  加味して考える。
# 例えば、「大航海時代」にはヨーロッパがユーラシア西端=南北アメリカ大陸の隣に位置して
# いることが決定的に寄与している。また、西欧の「船舶での交易への意欲」は、巨大な「内海」
# である地中海、バルト海 ... および「遠距離交易に使える巨大河川群」の存在により形成された
# 「伝統文化」と考えられる。

1.1 「近代資本主義」を、どう定義すべきか^

まず、近代+資本主義と分解して考える。「近代」の定義については、比較的「議論の前提と
しての合意」を得やすいであろう。少なくとも、本記事の主題についての議論は、下記などを
想定しておけば十分と考える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/近代
「時代区分としての近代を象徴する要素は、ヴェストファーレン条約に始まる主権国家体制の
成立、市民革命による市民社会の成立、産業革命による資本主義の成立、ナポレオン戦争
よる国民国家の形成など、18世紀後期以降のヨーロッパで成立し、現代世界を特徴付けている
社会のあり方である。
19世紀以後、ヨーロッパで完成したこれらの社会のシステムは、日本を初めとする欧米以外の
諸国にも伝わり、世界全体を覆うようになる」。
https://kotobank.jp/word/近代-54336
「(1) 西洋史では,一般に 15~16世紀以降を近代と呼び,ルネサンス,大航海時代,宗教改革
などがその幕あけ ... 近代を特徴づける思想傾向としては,個人主義,合理主義,世俗化,
自由主義などがあげられ,科学,技術の進歩と結びついた産業資本主義の発達を近代化の起動力
とみなす考えが有力である。その意味では産業革命が,世界史的な規模における近代の画期と
みなされ,ヨーロッパ先進諸国による非ヨーロッパ諸地域の支配,植民地化は,ヨーロッパの
近代化の裏面であった。....」

「資本主義」の定義については少々事情が複雑になる。最初から「近代資本主義」としての意味
合いを持たせて「資本主義」を定義してしまう場合も多いし、その立場の中でも、複数の異なる
定義が流布している。そもそも「資本」の定義に際して複数の立場があり、それが「経済学」に
おける複数の全く異なる「定義」、さらには「資本主義」の様々な定義にも影響する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/資本
「資本(しほん、英: Capital)とは、事業活動などの元手のことである。また、主流派経済学に
おける生産三要素のひとつ、マルクス経済学においては自己増殖する価値の運動体のこと、
あるいは会計学や法学における用語である。 」
https://kotobank.jp/word/資本-75051
「日常的な意味では、貨幣一般またはその貨幣単位で表示される工場・機械や店舗といった
生産・販売の設備や施設をさすが、経済学上は、立場や観点の相違によってその概念や定義も
異なっている。....」
なお、経済学においても、「現代貨幣理論 (MMT: Modern Monetary Theory) 」は、「会計学に
おける資本の定義」を基盤とする。
MMT の立場では「なぜ(近代)資本主義が(西)ヨーロッパから/イギリスから始まったのか」
という問いに「資本主義の定義から明らか」との答も可能なようだ(下記サイトの記事参照)。
https://shin-geki.com/ : 資本主義の本質をわかりやすく解説-中央銀行制度が資本主義の本質
https://so-t.biz/ : 資本=負債!資本主義とは何か?中学生でもわかるよう簡単に解説
- 初心者も分かる通貨=負債の概念を理解する-現代貨幣理論(MMT)の基本
# 厳密には、「複式簿記での「借方」(会計学では「負債」と「純資産」という区別がある)の
# 記載項目」を、上記 MMT 関連記事では、一括して「負債」と呼んでいる事になるが、「この
# 同一視は、国家(マクロ)経済を考察する文脈では正当化される」という命題がMMT の論点。
https://note.com/ftk2221/n/n7ffc18fe7ebb
貨幣の真実に「気が付く」
「MMTが説明する貨幣の理論は、単なる現実であり、正しい、間違っている、○○説、
「○○によると」ではありません。気が付くか、どうかです。
変動為替相場制の独自通貨国にとって、自国通貨建て国債の発行は、単なる貨幣発行
(支出先の預金を増やす)。金利が上がるならば、中央銀行が買い取ればいい。」
「中央銀行が保有する自国通貨建て国債は、永遠に借り換えるだけ。利払いは、連結決算で
相殺。 ただ、これだけの話というか「事実」なのですが、「納得」しない。つまり「気が
付かない」人が少なくない」
どうしても「借金」を返した形にしたいなら永久債を発行すればいい」
「もっとも、その種の「新しいこと」をせずとも、日銀が日本国債を保有した時点で、事実上の
永久国債」

本記事では、とりあえず、いま少し「常識的」な議論をする都合上、「「近代資本主義」とは、
「(マルクスが言う)産業資本」成立前後の経済体制」」と定義する。マルクスの用語を使わず、
かなり早い時期も含める場合「工場制手工業成立から「産業革命」初期までの経済体制」とする。
つまり、端的に言えば「工場設備依存の大量生産」を「近代資本主義」の特徴付けと考える。 
(これは、「「近代資本主義」の起源」を議論する都合上、イングランド銀行の設立 (1694年)
以前の時期に起源を求める立場、産業革命に起源を求める立場の両方に対応するための方便に
過ぎない(「15世紀イギリスの毛織物産業」まで時期を遡った議論にも対応できる)。前記
MMT 関連記事での議論は「イングランド銀行が最初の中央銀行」で済み、単純明快なのだが。

1.2 「「近代資本主義」の起源」の常識的論理による説明^

「工場設備依存の大量生産」に必要な条件は「工場設備」整備の元手、労働者、原材料となる資源が
十分に入手可能で、生産技術も十分に成熟していること。「元手」と「原材料」については、まず、
 大航海時代以降の「海外植民地」が「西ヨーロッパ固有の有利な条件」となる。
# 植民地にされた側からは「たまったものではない」が、この点について何も触れずに「倫理」
# という言葉を平然と持ちだすのが、ヴェーバーの言説が恥知らずなプロパガンダであるゆえん。
# 「古代ユダヤ教のエートス」とやらは、無慈悲な略奪の正当化には、役立ったことであろう。
# また、第二次大戦後、イギリスやフランスの経済がパッとしなくなったのは、旧植民地独立の
# 影響により、安価な原材料の供給元や製品の確実な販売先を喪失したことが原因だとすると、
# 海外植民地が西ヨーロッパでの近代資本主義成立に果した役割の傍証になり得る。

「生産技術」は、ルネサンスを経た、中世的ドグマを否定する、近代科学(実験/実証ベース
方法論と、古代ギリシャ由来の高度に論理的な数学の融合)成立が、発展/充実の主因である。
つまり、古代ギリシャに由来する「高度に論理的な数学」が、隣接した文明圏である西アジアの
中心部に保存され、かつ発展が継続していた事と、地理的な距離が近いため交易が継続していた
事も、西ヨーロッパが東アジアやインドに対して、極めて有利な点だった。実験/実証ベースの
方法と数学との融合は、ガリレオ・ガリレイなど天才の出現と、中南米の銀山由来の大量の銀に
よって、他の文明圏との交易条件が圧倒的に有利になったことによる社会的余裕の二つが主因。

なお、科学技術の発展は「西アジアを含む他の文明圏との軍事面での力関係の逆転」につながる
ことで、大航海時代以降の他地域からの略奪による「資本の原始的蓄積/十分な元手の確保」を
社会全体として加速する上でも、重要な役割を演ずる。
大航海時代とルネサンスは、ともに西ヨーロッパの歴史地理的な条件なくしては、成立しない。
これこそ、「近代資本主義が西ヨーロッパで成立した理由」の中で、最も基本的なものだ。

プロテスタンティズムの役割は「倫理」などより「カトリック教会支配の桎梏からの解放」と
考える方が、筋が通る。カトリックが科学発展の障害だった事は、ガリレオを含む被害者たちの
存在から明白。イタリアではなく、イギリスで「近代資本主義」が成立した事実を考えるとき、
イギリス聖公会」の教理はカトリックと大差ない事に注意すべき。つまり、カルヴァン主義
教理による説明がイギリスに当てはまるかは、極めて疑わしい。「イギリスでのカルヴァン主義、
いわゆる「長老派」/「清教徒」だけが専らイギリスでの「近代資本主義」成立に関与した」と
証明できなければ、ヴェーバーの議論は崩壊する。そして、そんな証明が可能とは思えない。
https://pailaventure.com/society/52836.html
「英国国教会のキリスト教は、...歴史的に ... 英国で支配的なキリスト教の宗派でした」
もう一つ、カトリックの教会法が利息を禁止していたことで、金融業の成立が阻害された事の
影響も無視できない。結局、教理ではなく教会法が問題だったことは、イギリスとカトリック圏
との比較から明らか。
さらに言えば、フランシス・ベーコンを初めとする「イギリス経験論」の伝統が、近代科学の
受容と発展に有利な条件だったことも、特に疑う必要はないと考える。近代的製鉄、蒸気機関と
いった「産業革命」において決定的な役割を果す技術が全てイギリス起源である理由も、こう
考えると「自然な成り行き」に見えてくる。炭田の存在もイギリスにとって有利な条件だった
石炭を利用せざるを得なかったという「塞翁が馬」的事情もあった。

「労働者」については、イギリスの国力増大に伴う人口増加とエンクロージャによる土地私有の
影響による「労働人口の都市部への移動」を制約する封建的要因がなかったことが、イギリスで
近代資本主義が成立する重要な要因。つまり、マグナカルタと権利の章典により、近代的憲法
骨格が早期に形成されていたことが、有利に働いた。「法の支配」の確立で「国王の愚行による
浪費への歯止め」となる「近代的憲法が国力充実に対して持つプラス要因」も見逃がせない。

イギリスの次に近代資本主義が成立したフランスは、(1) 宗教改革以前からイギリスと並んで
強力な王権が早期に成立し、教会法の拘束力から脱していたという下地、(2) イタリアの隣国
という地理的条件から「知識革命としてのルネサンス」が早期に伝わって多数の啓蒙思想家や
科学者が現れ、(3) フランス革命+ナポレオンの統治で封建的社会制度が一掃された -- 事で
僅差でイギリスを追うことができた -- と考えれば、これまでの議論と整合的に説明できる。

2. 戦争との関連で「近代資本主義の起源」を考える^

大量生産経済は、生産量に見合う需要が存在しないと、不景気、不況、さらには恐慌にも陥る。
昨今の不景気の原因は「需要不足」という議論は珍しくないというか、極めて常識的であるし、
軍事ケインズ主義」はアメリカの大恐慌からの脱出ナチス政権下でのドイツ経済の回復
説明する、よく知られたキーワード。
https://toyokeizai.net/articles/-/125090
資本主義は、もう「戦争」でしか成長できない 思想家・内田樹×政治学者・白井聡 特別対談
2016/07/08 5:00
https://toyokeizai.net/articles/-/125090?page=5
「白井:何が何でも経済を成長させようというアベノミクスに、もし成功する道があると
すれば、それは軍事ケインズ主義であろうと僕は思っています。つまり戦争を起こすという
ことです」。
# しかし、「そもそも、戦争による大量消費が、近代資本主義成立の要件だった」とする議論は
# あまり見かけない。言われて見れば、否定する論拠は見当たらないわけだが。
https://toyokeizai.net/articles/-/125090?page=6
「白井:『戦争と資本主義』(講談社学術文庫)で、「戦争なくして資本主義はなかった」と
説いた、ヴェルナー・ゾンバルトは正しかったわけですね」。
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4062919974/toyokeizaia-22
# 大航海時代以降の植民地や欧州内領土を巡る戦争が西ヨーロッパで近代資本主義が成立した
# 一因だとすれば、いろいろな事が腑に落ちる。古典派経済学の「セイの法則」を真に受ける
# 連中が多かったのは、戦争による需要の存在が常態化していた事の影響で需要不足の状況が
# 少なかったため、1970年代のスタグフレーションの「不景気」の側面にはベトナム戦争
# 終結による需要不足も寄与したであろうこと、などなど。
# 2022-10-11: 下記は、資本主義の鍵となる制度すらも戦争が成立契機と指摘。
https://diamond.jp/articles/-/231385
「この残酷な世界を「普通の国民」が生きるために、絶対に知っておくべきこと
中野剛志:評論家」
https://diamond.jp/articles/-/231385?page=2
「戦争が「貨幣制度」「中央銀行」「資本主義」を生み出した
中野 誰かが設計してそうなったわけではないことです。むしろ、ヨーロッパ各国が戦争を
繰り返すなかで、試行錯誤をするうちに、知らず知らずのうちに、
貨幣制度も中央銀行も資本主義も、そして国家すらも生み出されてきたんです。」

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