稚内市抜海(ばっかい)の抜海岩と呼ばれる砂岩質の岩陰にあります。抜海岩は高さ30mほどの小山です。大岩が小岩を背負うように見え、アイヌ語の「バッカイ・ペー子を背負う・もの」に由来し、岩の下にある海食小洞窟が先史時代の生活の場として利用されていました。昭和38年に発掘調査され、遺跡はオホーツク式土器が大半を占めていますが、少数の擦文式土器と続縄文時代も出土しています。オホーツク文化の初期に位置し、富磯貝塚や泊内川左岸遺跡と近い時代です。
稚内市抜海(ばっかい)の抜海岩と呼ばれる砂岩質の岩陰にあります。抜海岩は高さ30mほどの小山です。大岩が小岩を背負うように見え、アイヌ語の「バッカイ・ペー子を背負う・もの」に由来し、岩の下にある海食小洞窟が先史時代の生活の場として利用されていました。昭和38年に発掘調査され、遺跡はオホーツク式土器が大半を占めていますが、少数の擦文式土器と続縄文時代も出土しています。オホーツク文化の初期に位置し、富磯貝塚や泊内川左岸遺跡と近い時代です。
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