rapture_20210711132905rapture_20210711132926https://www.hokkaido-np.co.jp/article/565096?rct=n_nuclear_waste

「日本海に面したロシア極東・沿海地方のラズボイニク湾。国営原子力企業ロスアトムの関連会社が所有する「放射性廃棄物管理センター」には、旧ソ連の原子力潜水艦から取り出された原子炉部分が多数保管されている。直径7~11メートル、長さ10~14メートル、重さ700~2千トンの円柱状で屋外に静かに並べられている。

■船体だけ処理

 1989年の東西冷戦終結、91年のソ連崩壊を機に退役した多くの原潜は解体後、船体の大半部分がスクラップ処理された。だが、原子炉を含む心臓部は強い放射性物質が残り、ただちに処分することが不可能。当初は海上保管を続けていたロシア政府は2000年以降、腐食の進行と流出事故のリスクを避けるため、陸上に引き揚げて保管する政策へと転換した。

 センターはこうした任務を担う極東で唯一の拠点。ロシア海軍・太平洋艦隊の保全基地だった場所をロスアトムが譲り受けた。沿海地方の中心都市ウラジオストクから直線距離で約40キロ離れた岬に位置し、現在も別の海軍基地がある周辺一帯は外国人の立ち入りが制限されている。取材は5月末、北海道新聞モスクワ支局のイーゴリ・ルジャノフ助手が現地に入った。

■元軍人が作業

 約55ヘクタールの敷地内にはちょうど陸揚げされたばかりの原子炉部分が横たわり、周囲に足場が組まれていた。「核燃料はすでに取り出され、鉄道で別の地域の処理施設へ輸送した」と職員のボリス・マリコフさん(59)。陸上ではまず、海上で浮力を得るために残していた原子炉の両側部分を切り離す作業が行われる。

 マリコフさんを含め、センターの職員の多くは潜水艦で勤務経験のある元軍人。センター長のワレリー・パニンさん(69)もかつて沿海地方やハバロフスク地方で技師として原潜の建設、修理、解体を担った。だが、船体を知り尽くす専門家集団も原子炉に向き合う作業は緊張の連続だ。

 「陸揚げ中に突然の高波や突風を受け、原子炉部分が転げ落ちないかと焦ったこともある」。パニンさんは現場の苦労を語りつつ、口調には達成感もにじんだ。作業が本格化した12年以降、湾内に係留されていた78基の原子炉部分は75基まで陸揚げが完了。着実な作業を可能にしたのは隣国の日本との協力だった。

■日本が7・2億円

 日本政府はロシア側の要請を受け、プーチン首相(当時)が来日した09年に浮きドックやタグボート、クレーンをセンターに提供する合意文書に署名。13年には追加支援として、陸揚げした原子炉部分のさびなどを防ぐ塗装施設の建設費として約7億2千万円を供与した。

 日ロ協力は日本海の環境保護につながるとの側面からも実を結び、パニンさんは「この先ずっとお互いの漁師が安全操業を続けるための共同作業でもある」と話した。しかし、約70年間保管し、放射能レベルが下がるのを待った後に行われる処分作業の具体的な検討はこれからだ。

 ソ連時代の85年、ラズボイニク湾の近くにあった修理工場で原潜「K431」が核燃料の交換中に爆発する大事故が起きた。船体はすでに解体されたものの、核燃料を取り出せなかった原子炉部分はそのまま保存を余儀なくされ、センターには特別な隔離倉庫も設置されていた。保管は「100年計画」(マリコフさん)という長さだ。

 ソ連崩壊から30年が経過し、米ソ冷戦の軍拡競争が残した「核遺産」とも言える原子炉の数々。その処理は次世代へとのしかかる重い課題になっている。(則定隆史)」