rapture_20210710050056rapture_20210710050124rapture_20210710050154/ https://digital.asahi.com/articles/DA3S14967389.html?iref=pc_ss_date_article

「「史上最悪」と言われる原子力事故を起こしたウクライナのチェルノブイリ原発。爆発した4号炉の炉心直下からここ数年、中性子が多く検出されるようになり、緊張が高まっている。炉心に残った核燃料が35年経った今もくすぶり続けているとみられるが、溶け落ちた燃料の現状を把握するのは難しい。解体まで、100年以上かかる見通しだ。

 炉心直下にある「305/2号室」。溶け落ちた核燃料が溶岩のように流れ込んだ部屋で2016年以降、3カ所の検知器が観測する中性子の数が、1・5~2倍に増えた。今年4月、チェルノブイリ原発から約50キロ離れたウクライナ北部スラブチッチで開かれた国際会議でそんなグラフが示された。

 会議は、原発の廃炉方針や事故で汚染された環境をどう回復するのかを話し合うもの。中性子は、燃料内で核分裂が続いていることを示す。ウクライナ科学アカデミーの原発安全問題研究所(ISPNPP)の研究者は「持続的な核の連鎖反応(再臨界)のリスクが残っている」と懸念した。

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 4号炉が爆発事故を起こした1986年。決死隊が約半年かけて壊れた建屋と炉心をコンクリートの「石棺」で覆った。しかし、突貫工事だったため、石棺は隙間だらけで雨水が流れ込み、老朽化が進めば崩壊する恐れも懸念された。

 そのため、鋼鉄のしっかりしたシェルターで石棺ごとすっぽり覆う計画が考えられ、欧州連合(EU)や日本などからの国際援助で2016年に完成した。中性子が増え始めたのはこのころからで、米科学誌サイエンスは「まるでバーベキューの燃えさしのようだ」と報道した。

 実は、中性子の数は1990年6月にも数百倍に跳ね上がったことがある。当時は石棺の隙間から雨や雪が絶え間なく入り込んでおり、溶け落ちた核燃料に達したことで、水が中性子の速度を遅くして核分裂を起こしやすくする「減速材」として働き、核分裂が連鎖したとみられる。

 このときは、原発に常駐していた研究者が被曝(ひばく)を顧みずに近づき、中性子を吸収する硝酸ガドリニウム溶液を噴霧した。ISPNPPのマキシム・サベリエフ上級研究員は、核燃料が「34時間にわたって臨界状態にあった」とみる。

 今回の中性子の増加も、水分の変化が原因と見られる。シェルターが完成して雨水が流入しなくなった結果、かえって核分裂を促しやすい水分量になったのではないかという仮説だ。問題は今年5月、ウクライナ国会でも取り上げられた。

 ただ、中性子の増加がそれほど急激でないことから、チェルノブイリ原発は臨界を否定している。「水分が減ったことで核燃料から出る中性子が遮られなくなり、多く検知されるようになったためだ」とする。

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 それでも、石棺の内部で、直接状況を監視できない核燃料が大量にくすぶり続けていることに変わりはない。シェルターで雨水の流入や放射性物質の飛散は防げるようになったとはいえ、石棺が解体されるまでには100年以上かかる見通しだ。チェルノブイリ原発も「石棺内で発生するできごとは常に科学的支援を必要としている」とコメントする。

 チェルノブイリ原発に詳しい京都大複合原子力科学研究所の今中哲二研究員は、中性子については吸収剤をすぐに散布できるように準備して監視しておけば再臨界の大きな心配はないとしつつ、「石棺の解体や撤去については膨大な資金が必要で、なかなか進まないだろう」と話した。(香取啓介)

 <チェルノブイリ原発事故> 旧ソ連のチェルノブイリ原発で1986年4月26日、テスト運転していた4号炉が暴走して爆発、炉心がむき出しになった。火災が発生して大量の放射性物質が大気中に放出された。放出量は10日間で約520万テラベクレル(テラは1兆)とされ、東京電力福島第一原発事故の約6倍にあたる。ソ連政府は当初、事故を公表しなかったが、欧州に放射性物質が届き、事故が明らかになった。約40万人が避難を強いられ、周囲約30キロ圏などは今も立ち入りが制限されている。」