説教でたどるパウロの生涯

 「使徒行伝」などの説教を通して、パウロの生涯を学び、信仰生活の道しるべとします。

アンティオキア教会とバルナバ

2025-01-24 13:07:30 | パウロの生涯に学ぶ
 
パウロの生涯(05)


※聖書は特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。

※聖書内でサウロと表記されている場合でも、説教内では便宜上パウロと表記しています。

※今回は説教というより、聖書の学び(解説)が中心になります。



"さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。
ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。
そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。(使徒11章19〜21節)


アンティオキアは、ローマ帝国では、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ大都市であり、
また異邦人(ギリシア人など)も多く、港が近く、広く地中海に開かれていました。
そういった開かれた環境は、まさに世界宣教の本拠地としてふさわしかったのです。


キプロスクレネ(アフリカ北部のリビアにある港湾都市。ギリシア人の都市。イエスの十字架の横木を背負ったクレネ人シモンの出身地。)には、
ユダヤから各地に離散していったユダヤ人がたくさん住んでいました。

彼らは、ユダヤ教のお祭りの時にはエルサレムにやってきていましたが、彼らの中には、ペンテコステの日(あるいはそれ以降)にクリスチャンになった人たちも多くいました。


しかし、ステパノの殉教後、迫害が激しくなって、彼らは難民のようになって、フェニキア、キプロス、アンティオキアなどに移住していきました。

彼らは各地(行く先々)でユダヤ人たちに福音を宣べ伝えていましたが、
アンティオキアに来たユダヤ人クリスチャンたちは、ユダヤ教徒ではないギリシア人(異邦人)たちにも福音を宣べ伝え始めたのです。

しかも、「主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。(21節)」というのです。



無名の信徒たちによる伝道

アンティオキア教会を創り上げて行ったのは、キプロスやクレネ出身の無名の信徒たちでした。


現代でも同じではないかと思います。
神様は現代でも、このような無名のクリスチャンたちを備えておられるのではないでしょうか。

ここで大切なことは、21節の「主の御手が彼らとともにあったので」ということです。

主の御手が、無名のクリスチャン一人ひとりの上に置かれている。
言い換えれば、聖霊が無名のクリスチャン一人ひとりに注がれ、聖霊が働かれて、主に用いられる器になるということです。

小さな者でも、神様の御手の中にすべてをゆだねるとき、神様はその人を豊かに用いてくださいます。


バルナバの働き

この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。
バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。
彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。
それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、
彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。
 使徒の働き 11章 22〜26節


大都市アンティオキアにもキリスト教会ができたということは、すぐにエルサレム教会にも伝わりました。

エルサレム教会は早速バルナバをアンティオキアに派遣し、調査しました。

バルナバは元々はキプロス出身のユダヤ教徒で、「レビ人」としてエルサレムの神殿で仕えていました。
バルナバは本名ではなく、「慰めの子」という意味のニックネームで、本名はヨセフでした。
また彼は、マルコと呼ばれたヨハネの従兄弟でもありました。

また、24節では「彼(バルナバ)は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。」とも書いてあります。

バルナバの働きは大きく分けて2つありました。

1.新しく信徒になった人たちを励ます

23節には、
「心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。」
と書いてあります。

新しく教会員になった人の中には、一時的な流行やムードで入った人もいたかもしれません。
また家族などから反対されて教会から離れ、キリストから離れてしまうこともあるでしょう。

そのような人たちが教会から離れ、キリストから離れてしまわないように、心を堅くして、主に留まり、信仰に留まっているように励ます人がどうしても必要なのです。


現代の教会でも、教会に来ても受洗まで至らないで、教会に来なくなったり、また受洗しても教会から離れてしまう人がいます。

そのような信仰の弱い人たちのためには、パウロのようなリーダーシップを取る牧師だけでなく、
バルナバのように、地味だけど、友だちのようになってくれる人も必要なのではないでしょうか。



2.パウロのために人々に執り成した。

使徒9:26〜27では、
「"エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。
しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に語られたこと、また彼がダマスコでイエスの名によって大胆に語った様子を彼らに説明した。」
と書いてあります。


サウロ(=パウロ)は、クリスチャンたちを迫害していたので、教会の人たちからは恐れられていました。

バルナバは、そんなサウロがキリスト教会に受け入れてもらえるように、サウロの身柄を引き受け、使徒たちに会わせ、彼が回心した経緯を説明したのです。


そして11章に入ると、バルナバは、
アンティオキア教会の維持と発展、さらに世界宣教のために、どうしてもパウロの力が必要だと思い、
パウロの生まれ故郷のタルソに彼を探しに行きました。
そしてようやくのことでパウロを見つけ、彼をアンティオキアに連れて戻ったのです。


一度目はパウロがキリスト教会に入ることができるように使徒たちに執り成し、
2度目は世界宣教の器として、わざわざパウロを探しに出かけて連れ帰る。
そしてアンティオキア教会に受け入れてもらえるように1年間、一緒に教会生活を行いました。

バルナバは本当に世話好きな人でした。そして何よりもバルナバの働きなしにはパウロはいなかったと思います。

 
信徒の数が爆発的に激増したアンティオキア教会には、強力なリーダーシップを持った人材が必要であること、そしてバルナバは自分にはそんなリーダーシップは持っていない。けれどもパウロだったらアンティオキア教会を引っ張っていける。そう感じて、実行に移したのです。

パウロのような強力なリーダーシップを発揮する人、
バルナバのように世話好きな人、
どちらも教会には必要なのです。

そして神様がそのような人を備えてくださるように、祈りましょう。
 
 

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神との交わりと人との交わり

2025-01-24 08:02:21 | パウロの生涯に学ぶ
 
パウロの生涯(04)

神との交わりと人との交わり


※以前に掲載したものを改訂して再掲します。

※聖書は特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。

※聖書内でサウロと表記されている場合でも、説教内では便宜上パウロと表記しています。



ここでは説教より学びが中心になります。

「使徒の働き」と「ガラテヤ人への手紙」で整合性が取れない(矛盾する)記述がありますが、
パウロの真正の書簡であるガラテヤ書の記述を優先させていただきます。

この学びは、
藤本 満 著『ガラテヤ人への手紙』
佐竹 明 著『使徒パウロ』
を参考にしました。



聖書の記述

「そこで、彼は立ち上がってバプテスマを受け、食事をして元気になった。
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいて、
ただちに諸会堂で、「この方こそ神の子です」とイエスのことを宣べ伝え始めた。
これを聞いた人々はみな驚いて言った。「この人はエルサレムで、この名を呼ぶ人たちを滅ぼした者ではないか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではなかったか。」
しかし、サウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。(使徒 9:18〜22)


使徒の働きによれば、
アナニヤの訪問を受けたパウロ(ここでは、まだサウロですが、便宜上パウロで統一させていただきます。)は、
すぐにバプテスマ(洗礼)を受け、
食事をして元気を出し、
まずダマスコの会堂でイエス様のことを宣べ伝え始めました。


その後しばらくのパウロの働きは、
ガラテヤ書に次のように記されています。


「私は血肉に相談することをせず、
私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。
それから三年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。
しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒たちにはだれにも会いませんでした。
神の御前で言いますが、私があなたがたに書いていることに偽りはありません。
それから、私はシリアおよびキリキアの地方に行きました。"
 ガラテヤ人への手紙 1章 16〜21節


ここから分かることがいくつかあります。
まず要点だけをざっくり言いますと、

1.パウロはエルサレムから距離を置いていた。

パウロがエルサレムに行ったのは、3年後に15日間の滞在で、
しかも、ケファ(ペテロのこと)とヤコブに面会しただけでした。


これについては、パウロにとって、キリストの福音は、神様から直接 啓示を受けたのであって、
エルサレムにいる使徒たち(=人間)から教わったわけではなく、
また、伝道活動も、エルサレムに依存せず、独立して行っていたということを強調しようとしています。

つまり、ここで、パウロは「人によらず、神(キリスト)によって」ということを強調したいのであって、
他の使徒たちとの横のつながりはどうでもよかったわけではありません。


藤本満氏によると
「もし、パウロがエルサレム教会に身を置いて、その影響下にいたなら、
異邦人伝道に対する神の御心を、これほど鮮明に見定めることはできなかったことでしょう。
これほどまでに大胆に異邦人伝道のために出て行くこともできなかった。」と言っています。


また、異邦人伝道(伝道旅行など)が本格化するのは、アンテオケ教会が宣教拠点として充実してからですが、
まだ期が熟していなかった。
準備が整っていなかったのです。 



2.伝道旅行に参加するまで、

パウロは、一人で、ダマスコ、アラビア、シリア、キリキアなどで伝道していました(キリキアはパウロの生まれ故郷タルソがある地域)。



アラビア伝道について

アラビア(ダマスコの東側)には、
ナバテア王国というアラビア人の国があり、ダマスコはこの国の首都でした。

パウロはここに3年間滞在し、アラビア人伝道を試みますが、
これはうまくいかなかったようです。

Ⅱコリント11・32~33には、
「ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕えようとしてダマスコの町を監視しました。そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました」
と書いてあります。

ここに出てくるアレタ王というのは、ナバテア王国の王、アレタ四世のことです。

おそらく一神教が、アラビアの習俗(風習)と合わなかったのでしょう。

しかし、失敗も次への肥やしとなります。
この失敗の経験も、その後のパウロの伝道活動に役立ったことでしょう。


私たち現代のクリスチャンも、
証しや伝道をしようとして失敗することもありますが、
失敗を引きずらないように、むしろ肥やしにして次に生かしていきましよう。



エルサレムでの交わり

それから三年後に、私はケファを訪ねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。
しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒たちにはだれにも会いませんでした。(ガラテヤ 1:18〜19)


パウロはエルサレムでケファ(=ペテロ)とイエス様の弟ヤコブに面会して会談しています。

おそらく、公生涯中のイエス様のことを聞いていたのだろうと思います。

それはそれは楽しい15日間だったことでしょう。

イエス様のお言葉に
二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイ18:20)
というのがありますが、

目には見えない復活のイエス様もそこにおられ、
主にある兄弟姉妹たちと交わることができる。
それは何にも代え難い恵みのひとときです。

教会は神の家族(エペソ2:19)ですから、教会でも、神の家族の聖い交わりを大切にし、楽しみたいと思います。



優先順序

しかし、ここから学ぶべき大切なことは、
パウロは人との横の交わりも大切にしましたが、
それ以上に、神様(キリスト)との縦の交わり(関係)を大切にしていた(優先していた)ということです。


教会活動には《優先順序》が大切です。

聖徒の交わりも大切ですが、
神様(キリスト)との縦の交わり、つまり礼拝が優先です。

パウロの姿勢からそのことを再確認させられます。



時が来るまで

さて、パウロはエルサレムでの15日間の交流の後、
シリアと彼の生まれ故郷タルソのあるキリキア地方に行き、そこで伝道旅行の備えができるまで、10数年間を過ごすことになります。


私たちも――伝道や奉仕だけでなく、結婚や仕事などでも――時が来るまで(期が熟するまで)、待たされることがあります。
何ごとにも、時が来るまで待つことも大切です。

パウロに関して言えば、
①伝道旅行の拠点になるアンテオケ教会の発展と充実。
②パウロ自身の――時には失敗からも学ぶ――備え。
この両方の準備期間が必要だったのです。

私たちも、待たされる時期は備えの時期であると信じて、祈って備えながら待ちましょう。


「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
 (伝道者の書 3章 11節)









目からウロコ

2025-01-24 07:42:49 | パウロの生涯に学ぶ
パウロの生涯(03)


目からウロコ


※以前に掲載したものを改訂して再掲します。

※聖書は特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。

※聖書内でサウロと表記されている場合でも、説教内では便宜上パウロと表記しています。



神様はパウロが働きを始められるように、人を用いられました。

今日は述べませんが、
パウロを探し出して、パウロがクリスチャンの仲間に入って、一緒に伝道できるように執り成したバルナバも、その一人でした。 

今日、取り上げるアナニヤは、
パウロ――この時はまだサウロと呼ばれていますが、便宜上パウロで統一いたします――が視力を回復し、聖霊に満たされて、クリスチャンとしてスタートできるように導きました

神様はパウロがクリスチャンとしてスタートできるようにアナニヤを用い、さらに伝道者としてスタートできるようにバルナバを用いられたのです。


ちなみに「アナニヤ」という名は、ヘブライ語の「ハナヌヤ」のギリシア語形で「主は恵み深い」という意味があります。


また、パウロは後にアナニヤのことを「律法に従う敬虔な人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人たちに評判の良い、アナニアという人が・・・」(使徒 22章 12節)

と言っています。


さて、聖書の物語に入っていきます。

パウロはまばゆいばかりの光を浴び、視力を失いました。
そして地に倒れたパウロは、人々に手を引かれて、ダマスコにいるユダという人の家に入って、そこに滞在していました。

それから3日経った頃、同じダマスコにアナニヤというユダヤ主義クリスチャンがいました。

ユダヤ主義者というのは、クリスチャンになってからも、律法を厳格に守るユダヤ人キリスト者のことです。

ここでもイエス様が主導権を握られます。


主(イエス様)は、幻の中でアナニヤに現れ、彼にパウロのところに行くように命じられました。

しかし、それを聴いたアナニヤは驚き、激しく動揺しました。 

そしてアナニヤはまず自分が恐れていることを包み隠さず、そのままイエス様に申し上げます。
「主よ。私は多くの人たちから、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。
彼はここでも、あなたの名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから与えられています。」(使徒 9:13〜14)
アナニヤはそう言って、断ろうとしました。



祈って打ち明けること

心の中に恐れや不安があるなら、それを包み隠さず、あるがままをイエス様に申し上げることが大切です。

子どもが不安に思っていたら、親は打ち明けてほしいと思うし、また親が解決できることはしてあげたり、また解決方法をアドバイスしたりできます。

私たちと神様(イエス様)とも関係もそれと同じです。

私たちが神様に心の中にある心配事などを包み隠さず、あるがままを打ち明けるなら、神様がそれを聴いてくださり、動いてくださるのです。


さて、イエス様はそんなアナニヤと論争することも、彼を説得することもしないで、ただ
「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。
彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。」 (使徒9:15〜16)
と言われました。


イエス様が主導権を握られ、
イエス様が中心となって働かれると、あらゆる危惧や恐れは消えてなくなります。


祈るパウロ

「ユダの家にいるサウロという名のタルソ人を訪ねなさい。彼はそこで祈っています。」(11節)
・・・そこでアナニアは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いて言った。
「兄弟サウロ。あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
するとただちに、サウロの目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。(17〜18節)


アナニヤがパウロのもとに行くと、パウロは祈っていました。 
そしてアナニヤがパウロの頭に手を置くと、目が見えるようになりました。

ここで、もう一つ着目しておきたいことは、パウロが祈っていたということです。


聖書を読む時の読み方の1つに、
神様(キリスト)以外の登場人物になりきってみるというのがあります。

ここでパウロになってみましょう。
パウロはイエス様から「なぜわたしを迫害するのか。わたしはあなたが迫害しているイエス様である。」
というイエス様のことばを聴き、
自分が神様を迫害していた、神様の御事業の妨害をしていたということを知りました。

今まで自分は正しいと思ってやって来たのに、それが間違いであったということが示され、罪の意識にさいなまれたことでしょう。

それと同時に、これからどうしたらいいのか分からなかったということもあったと思います。

それでパウロは、断食をして、必死に、懸命に祈リました。

そして、イエス様はそんなパウロのためにアナニヤを遣わして、パウロに聖霊を注ぎ、彼に神の怒りではなく、神様の御計画が見えるようになさったのです。



祈る私たち

私たちも時には罪の意識にさいなまれたり、これからどうしたらいいのか分からないということがあります。

そのような時にはまずパウロのように祈ることです。
そうすれば、イエス様は私たちに聖霊を注いでくださり、また牧師の説教や聖書のことばを通して、ゆるしの確信を与えてくださいます。

また、時には神様はアナニヤのようなアドバイスをしてくれる人(牧師など)を与えてくださったりして、
神様の御心にかなった正しい道に導いてくださいます。











パウロの回心――神のチャレンジ

2025-01-24 07:27:00 | パウロの生涯に学ぶ
パウロの生涯(02)


パウロの回心――神のチャレンジ


※以前に掲載したものを改訂して再掲します。

※聖書は特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。

※聖書にはサウロと書かれている場合でも、説教内では、便宜上、パウロと表記しています。


「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き、大祭司のところに行って、
ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めた。それは、この道の者であれば男でも女でも見つけ出し、縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」
使徒の働き 9章 1〜2節


熱心なユダヤ教徒であったサウロ(=パウロのこと。サウロはユダヤ名)は、ダマスコの会堂にキリスト者たちが集まっていることをかぎつけて、逮捕し、エルサレムに連行しようと思いました。

しかし、気を付けてほしいことが2つあります。

まず1つは、
パウロはならず者ではないので、
大祭司のもとに行き、正式に逮捕状をもらって、正規の手続きを経て、捕縛していたということです。

また、死刑にする場合も、律法の規定に従っていました。


もう一つは、
聖書には書かれていませんが、
パウロが捕縛していたのは、主に異邦人や地中海全域に離散して、ユダヤに戻って来た帰還ユダヤ人のように、
割礼や律法を守らない人たちです。
ステパノもそのうちの一人でした。

クリスチャンであっても、
割礼を受け、律法を守っているユダヤ主義者たちは捕縛の対象ではありませんでした。


パウロは「自分は正しい。律法を守らない人たちは間違っている。」 そう思っていました。

あんな人は居てはいけない。居るべきではない。」そう思っていました。



私たちへの適用

私たちはどうでしょうか?
考え方や性格が自分と合わない人に対して、
また、自分たちとは違った教義を持つ教派や教団に対して、
自分たちが正しい。あの人たちは間違っている。」
「あんな人たちはいないほうがいい
そう思うことはないでしょうか?

しかし、そんな私たちにも、イエス様は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使徒9:5)
とおっしゃっておられるのです。

また、ルカの福音書では、悪霊祓いをしていた他の集団に対して、イエス様は「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です。」(ルカ9:50)
とも言っておられます。

キリスト教は、そして何よりもイエス様は、異端でない限り、多様性を認めているのです。


あの人もここにいていい、この人もここにいていいのです。」


イエス様との出会い

さて、聖書の箇所に戻りますが、
パウロは、キリスト者たちを捕縛するために、ダマスコに入って行こうとしていました。

すると突然、まばゆいばかりの強い光に照らされて、乗っていた馬も驚いて、パウロは落馬してしまいました。

その時、天から声が聞こえてきました。それが先ほど触れました
「「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」・・・「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
 使徒の働き 9章 4〜5節
という、イエス様のみことばでした。

よみがえって今も生きている復活のキリストが、主イエス様が、パウロに直接、語りかけられたのです。


その時は訳が分からなかったと思いますが、パウロは自分が間違っていたことに気づかされ、イエス様を受け入れたのです。



神のほうから近づく

この聖書の箇所から教えられるもう一つのことは、
神様のほうからのパウロに近づいてきてくださったということです。

自分の正義感から、クリスチャンを迫害し、抹殺しようとしていたパウロに、イエス様のほうから近づき、語りかけて、彼の過ちを示されたのです。 
これは本当に神様の一方的な恵みです。パウロに対する神様の憐れみです。


現代への適用
 
パウロと出会ってくださり、パウロを救ってくださったイエス様は、今も生きておられます。
そして今もイエス様を信じていない人たちに出会いたいと願っておられます。

神様(イエス様)は、このブログを通して、また私はやっていませんが、YOUTUBEなどを通して、
時にはバッハなどの音楽を通して、
色んな方法を使って、
神様の方から近づいて来られ、ご自身を現してくださいます。
伝道はそのような神様の働きに参与させていただくものです。


私たちは、パウロの例を通して、
「あんな人は救われないだろう、教会には来ないだろう」と勝手に決めつけてしまわないで、
神様のほうから出会ってくださるように祈り、また聖霊の導きを祈り求めつつ、自分にできる方法で、また相手に伝わりやすい方法で、伝道の業にも参与させていただきましょう。





クリスチャンになる前のパウロ

2025-01-24 07:08:19 | パウロの生涯に学ぶ
パウロの生涯
 

クリスチャンになる前のパウロ


※以前掲載したものを改訂して再掲します。

※聖書は、特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。


「私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、
その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。
しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。」(ピリピ 3章 5〜7節)


皆さんには自慢できるものがありますか?
今日の聖書の箇所には、パウロがクリスチャンになる前に、自慢していたこと、誇りに思っていたことが記されています。


①生まれて八日目に割礼を受けた。

改宗者ではなく、
れっきとした(由緒正しい)家柄――ユダヤ人の家庭――に生まれた。血筋ですね。
しかも、掟に従って、正しく割礼の儀式を受けた。


②イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、

ベニヤミン部族は、イスラエル王国を構成していた12の部族のうち、ユダと共にエルサレムの側に忠実に留まった。
 
また、ベニヤミン族は、イスラエルの最初の国王サウルを輩出しており、
両親は、パウロにサウルという名前を付けた。(サウロはギリシア語表記)



③律法についてはパリサイ人・・・律法による義については非難されるところがない者でした。

使徒の働き22章3節で、パウロは、
「私は、キリキアのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。」
と言っています。

おそらく13歳になって成人してからだと思いますが、
タルソからエルサレムに出てきて、高名な教師ガマリエルのもとで厳しい教育を受けます。

そしてそれ以降、パウロはユダヤ人の掟である律法を、他の誰よりも厳格に守って生活してきました


パウロはエリート中のエリートで、今の日本で言えば、東大出のキャリア組だったのです。

しかも、熱心さの余り、彼は律法を守らないキリスト者たちを迫害していました。


イエス様との出会い

しかし、そんなパウロでしたが、ある日、復活のイエス様と出会います。

出会ったときの様子などは次回学びますが、
それまでパウロは割礼を受け、律法を厳格に守らないと神様に受け入れてもらえない、神様に愛してもらえないと思っていました
だからこそ、がむしゃらに頑張って生きてきました。

でも、割礼や律法によらず、イエス様を救い主として信じれば、それだけで神の子としてもらえる、神様に受け入れてもらえることを知りました。


ウェスレーの場合

18世紀イギリスの伝道者で、メソジスト教会の創始者となったジョン・ウェスレーも、最初は行いによって、救いの確信を得ようとしましたが、
なかなかうまくいきませんでした。

しかし、ある日のこと、彼はある集会で、マルティン・ルターの『ローマ書への序言』が朗読されているのを聴いたとき、彼は神様にすでに受け入れられていた、愛されていたということを知り、心が熱く燃えてくるのを感じたのです。


私たちの場合

皆さんはいかがでしょうか?
しっかりとした、また、はっきりとした救いの確信はあるでしょうか?

イエス様の救いの業を信じていれば、
神様の子としてもらえ、受け入れてもらえるのです。
それなのに、
もっと一生懸命に頑張らなければと、あせってはいないでしょうか?

今日、私たちは自分の胸に手を当てて、はっきりとした信仰の確信があるかどうか、確かめてみましょう。

そして、行いによらず、信仰のみによって、すでに神様に受け入れられていると信じ、喜びと平安に満たしていただきましょう。