パウロの生涯
クリスチャンになる前のパウロ
※以前掲載したものを改訂して再掲します。
※聖書は、特記しない限り、新改訳2017(新日本聖書刊行会)を用いています。
「私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、
その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。
しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。」(ピリピ 3章 5〜7節)
皆さんには自慢できるものがありますか?
今日の聖書の箇所には、パウロがクリスチャンになる前に、自慢していたこと、誇りに思っていたことが記されています。
①生まれて八日目に割礼を受けた。
改宗者ではなく、
れっきとした(由緒正しい)家柄――ユダヤ人の家庭――に生まれた。血筋ですね。
しかも、掟に従って、正しく割礼の儀式を受けた。
②イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、
ベニヤミン部族は、イスラエル王国を構成していた12の部族のうち、ユダと共にエルサレムの側に忠実に留まった。
また、ベニヤミン族は、イスラエルの最初の国王サウルを輩出しており、
両親は、パウロにサウルという名前を付けた。(サウロはギリシア語表記)
③律法についてはパリサイ人・・・律法による義については非難されるところがない者でした。
使徒の働き22章3節で、パウロは、
「私は、キリキアのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。」
と言っています。
おそらく13歳になって成人してからだと思いますが、
タルソからエルサレムに出てきて、高名な教師ガマリエルのもとで厳しい教育を受けます。
そしてそれ以降、パウロはユダヤ人の掟である律法を、他の誰よりも厳格に守って生活してきました。
パウロはエリート中のエリートで、今の日本で言えば、東大出のキャリア組だったのです。
しかも、熱心さの余り、彼は律法を守らないキリスト者たちを迫害していました。
イエス様との出会い
しかし、そんなパウロでしたが、ある日、復活のイエス様と出会います。
出会ったときの様子などは次回学びますが、
それまでパウロは割礼を受け、律法を厳格に守らないと神様に受け入れてもらえない、神様に愛してもらえないと思っていました。
だからこそ、がむしゃらに頑張って生きてきました。
でも、割礼や律法によらず、イエス様を救い主として信じれば、それだけで神の子としてもらえる、神様に受け入れてもらえることを知りました。
ウェスレーの場合
18世紀イギリスの伝道者で、メソジスト教会の創始者となったジョン・ウェスレーも、最初は行いによって、救いの確信を得ようとしましたが、
なかなかうまくいきませんでした。
しかし、ある日のこと、彼はある集会で、マルティン・ルターの『ローマ書への序言』が朗読されているのを聴いたとき、彼は神様にすでに受け入れられていた、愛されていたということを知り、心が熱く燃えてくるのを感じたのです。
私たちの場合
皆さんはいかがでしょうか?
しっかりとした、また、はっきりとした救いの確信はあるでしょうか?
イエス様の救いの業を信じていれば、
神様の子としてもらえ、受け入れてもらえるのです。
それなのに、
もっと一生懸命に頑張らなければと、あせってはいないでしょうか?
今日、私たちは自分の胸に手を当てて、はっきりとした信仰の確信があるかどうか、確かめてみましょう。
そして、行いによらず、信仰のみによって、すでに神様に受け入れられていると信じ、喜びと平安に満たしていただきましょう。
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